Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ザ・ベストセラー

「ザ・ベストセラー」オリヴィア・ゴールドスミス。

著者は文字通り、まあまあのヒット作品を書いた小説家なのだが、その彼女が「デビュー前のうらみつらみ」を作品化したのが本書である。
すごいルサンチマンなのだ。いかに新人作家がデビューするのが至難の業であるか、それは日本もアメリカも大して違いはないのだろう。
ただし、アメリカにはプロ野球で有名な「代理人制度」があって、話はやっかいになる。

作家本人が出版社へ持ち込みをする。そうすると、ほとんどが「けんもほろろに断られる」のである。
編集者に言わせれば、それは理由がある。彼らは忙しいのである。週末もつぶして、多数の作品を読み、編集や校正をしなくてはいけない。
それでも、若かりしころは「我こそが天才作家を発掘するんだ」という意気に燃えている。
ところが、その期待は、もろくも裏切られるのである。持ち込み原稿のうち「箸にも棒にもかからない」のは100作中97作くらいだからである(笑)
じゃあ、残り3作は「ものになる」のか?そうではなくて「さんざん直して、どうにか読める」レベルなのである。
結果「そんなにすばらしい作品なら、どうして代理人もついてないの?」となる。当然の疑問である。

ところが、新人作家に言わせれば、さらに事態は深刻だ。
多くの代理人は、そもそも小説に興味はなく、ただの金儲けの道具でしかない。彼らは、もっとも報酬のよい作家、つまりベストセラー作家の代理人にはなりたがるが、実績ゼロの新人の代理人には興味がないのだ。
編集者は代理人の持ち込みでなければ原稿を読みもしない、その代理人は実績がなければ相手にしない。
「じゃあ、新人はいったいどうやってデビューするの?」
そう、まったくの僥倖、つまりはそういう編集者や代理人の「例外」にあたるしかないのである。

ついでにいえば、そうやって艱難辛苦、とにかくデビューできたら幸福な作家生活か?これが、とんでもないのである。
代理人は、執筆作品について、前払い契約金を吊り上げる。そこから彼らの手数料収入が出るからだ。
出版社は、しぶしぶ契約に同意し、作品を手に入れる。巨額の契約金を取り戻すには、本を売るしかないので、大規模なプロモーションが展開される。
その費用を捻出するために、平気で原稿の大幅改定(つまり、紙数節約によるコストダウン)をやってしまう。
その挙句に、もしも本が売れなかったら。。。大赤字を出した作家は、そこで見捨てられる。
ベストセラー作家は、次々とベストセラーを書くよりほかに、生き残る方法はないのである。
そこに失敗すれば、作家なのに出版社の校正をやりつつ、歯医者にいく金もないので歯痛を我慢するような暮らしが待っている。
テレビだの映画になって、さらに巨額の収入を得てようやく一息、といった有様なのである。

この小説には、冒頭に、どこの出版社に送っても断られ続けた作家志望の女性の自殺シーンが描かれる。
本書を通じ、もっとも芸術性の高い作品が、この女性の作品ということになっている。デビュー即遺作。悲劇というには悲しすぎる。

評価は☆☆。
実に面白く、一気に最後まで読ませる。まったく飽きない。
この小説自体が、じゅうぶんなベストセラーの要素をもっている。けれども、それでも思うようには売れなかったんだろうか。

ちなみに、昨年度の出版物市場は、ついに2兆円を割り込んだそうである。
パチンコが20兆円、本が2兆円。悲しいばかりの落差である。
最大の書店がセブンイレブンというように、そのわずかな市場は、雑誌が主力で、こう言ってはなんだが、後世の批判に耐えられる内容の本ではない。
本書では、小説は大きく2つに分けられるという。
ひとつは、その時にたくさん売るための商業ベースの作品。もうひとつは、作家がこつこつと刻んだ流麗な文章と知性が感じられる作品で、後世に残るもの。
そのうちの、どちらの市場が大きいかは言うまでもない。
そして、そのような文学的(商業ベースには乗りにくい)作品を出版するために、ふだんは「売れる」作品を売りまくるのだ、ということ。

最近の日本の小説を読んでいると、この境界はあいまいになった。
本を読む人が減りすぎたので、商業ベースの作品すら成立しなくなり、一方で確実に売れる中間知識層対象の作品では、あまりに「売れ線」なものは嫌われ、多少なりとも社会的なテーマを含まなければ難しくなっているからだろう。
これを進化というか、退化というか?ううむ。。。

日本の市場の場合は、代理人がないだけ、アメリカよりもデビューのハードルは低い。
そこで登竜門の役割を果たしているのが各種の新人賞だろう。
あれは、入学試験と似ている。一発勝負であることとか、傾向と対策が必要(笑)なところとか。
そのハードルを(くだらないと思いつつも)クリア出来るかどうかが、商業作家としての資格試験になっているわけだ。
少なくとも、下読みをする編集員を飽きさせないだけの技量は必要ということで、対象でなくても副賞、佳作でデビューした作家は多いようだ。
我とおもわん方は、まず応募することでしょうなあ。

私自身は、そんな野望はありませんがね。リタイヤしたら、考えるかな(苦笑)