Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

カインの市

「カインの市」ケイト・ウィルヘルム。サンリオSF文庫で絶版のまま。

日本のSFファンでも、ウィルヘルムの名前を知っている人は少ないのではないかと思う。
日本におけるSFは、世界の中では特異な発展過程をたどっており、50年代~60年代の作品の影響が大きい。そして、これらの作品に影響を受けた日本の作家が作品を量産し、SFを認知させたのがたぶん70年代の後半から80年代。
おおむね20年の後追いなわけである。
「さ○ならジュピター」などをやっている横で、ケイト・ウィルヘルムの作品が売れるわけがないのである。

アメリカのSFも、ニュー・ウェイブの影響を強く受けたわけだが(日本ではサッパリ)しかし、アメリカ人には陰々滅々としたバラードや、ハイブロウなレムは流行らなかった。
代わりに、才能豊かな女流達が、一気にその才能を爆発させ、まったく新しいSFを書き始めたのである。
ウィルヘルムは、それら女流の中でも才能のある人であって、ルグインやティプトリーに並ぶ存在である。
なのに日本では人気がないのは、彼女の作品がもっとも主流文学に近いからである。
日本のSFファンは、よく言えば永遠の少年、わるくいえばオコチャマなのであって、思弁的小説だとかブンガクを好まないのだ。
(ただし、コンプレックスはある)

この作品の主人公は青年科学者ピーターで、ある日、ベトナム戦争に従軍し、頭部に負傷して送還されてきた。
手術は成功したが、彼はそれから、原因不明の気分障害、頭痛に悩まされることになる。
医者にも、もちろん原因はわからない。ピーターは、上院議員である兄の家で静養している。
従軍前の記憶もところどころ欠落しているため、それらの記憶を少しづつ取り戻すことに努めている。
ところが、その記憶を呼び戻そうとしているうちに、自分の記憶ではない思惟がまぎれこんでくるようになる。
それは、兄が関係している軍の秘密プロジェクトで、かつての恩師を中心とした核戦争計画だった。
計画に気づいたピーターは、なんとかこの計画を阻止しようとする。
一方、核戦争計画を推進しようとする勢力は、ピーターの奇妙な能力に気づき、彼を再手術しようとするのだった。。。

およそ20年ぶりくらいに再読したのだが、当時と感想は変わらない。つまり、正直な話、あまり面白くないのである。
これは、時代背景もあるだろう。
ベトナム戦争キューバ危機の時代、核戦争は間近な恐怖だったに相違ない。どこかで権力者達が核戦争を意図しているという背景は、物語に深みを与えたであろうと思う。
しかし、今日、その恐怖は薄れている。
もちろん、核は拡散している。そういう意味で単純に考えれば、核戦争が起こる可能性が減じたわけではない。
しかしながら、一方でミサイル原潜の出現や弾頭小型化によって、相互確証破壊戦略は、皮肉にも余計に正確に機能するようになってしまった。
国際非難を無視して核戦争の決心をしても、第一撃で相手国を殲滅することは不可能で、必ず反撃がくるわけである。
かつては、大量の核ミサイルを装備し、一撃で反撃能力を絶つという戦略があり得たが、もはや不可能となった。
残念ながら、核戦争の恐怖を薄めているのは、平和を祈念する心ではなくて、そういう環境の変化によって「採算のわるすぎる手段」になったからであろう。
また、自由貿易体制は、他国を壊滅させる必要をそもそもなくした。より富める国は輸出相手とすればよく、より貧しい国は生産基地にするのに適する。
一部の人たちがあしざまに言う「グローバリズム」ではあるが、世界は少なくとも平和に近づいた。
戦争は、ごく一部で市場として必要なところで行われるかもしれないが、もはや魅力的なビジネスとは言い難い。
今の世界をみればわかるが、実際に戦争の悲劇が起こる国を整理してみると、
・国際関係における採算を度外視する政治が支配する国
・軍事的な成算に沿って行動しない国
・経済活動よりも政治活動を行動原理にする国
・グローバル経済から遠く、戦争以外の参加手段を持たない国
・これらのいっさいを考慮する必要のないカルト集団
というふうになる。
平和になる手段などというものは簡単であって、高尚な憲法など必要なく、ただの拝金主義があれば足りるのである。
隣国の支那をみよ。かの国は、政治がものを言うときは戦争の危険があるが、国ごと金儲けに邁進している間は安心していられるではないか。
これが現実である。

かつてサルトルは「植えた子どもの前で、文学は有効か?」と問い、マルクス主義へ傾斜した。
私は思う。「満腹の子どもの前で、文学は有効か?」やっぱり疑問じゃないだろうかね?
私の総括は「どちらの子どもの前でも有効なのは金儲けであり、どちらの子どもにも役立たずなのは文学である」「役に立たないから、文学は尊いのであって、役に立つ金儲けは便利という価値で鍋釜包丁と変わらないのだから、便利ではあるが尊敬には値しない」というものだ。
時代を背景にした重々しい小説は、やっぱり好みじゃないのである。

というわけで、評価は無☆。とはいっても、そこそこ高値の稀少本なので、売りはしませんが(苦笑)
ケイト・ウィルヘルムの面白い小説は、やっぱり「杜松の時」だろうと思うなあ。
機会があれば紹介したい。