Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

迷宮の神

「迷宮の神」コリン・ウィルソン

C・ウィルソンはデビュー作「アウトサイダー」で、当時の世界の若者に一大旋風を巻き起こしたそうだ。
そうだ、というのは、私が大学時代ですら、それは既に昔の話になっていたからである。
ビートルズが流行った時代なんだから。

コリン・ウィルソンは、アウトサイダー(社会の体制の外側で生きる人間)であっても、というか、だからこそというべきか、「認識の飛躍」を説いた。
感覚論(トンデル、とか)じゃなくて、主に知識レベルで一気に開ける覚醒のことを指した言葉である。
ウィルソン自身がイギリスの下層階級に生まれ、学校教育も満足に受けられず、図書館で独学し驚異的な知識を身につけた。博覧強記の人である。
そのあたりの個人的な体験が、彼の主張には反映している。
どっちかというと、ただ単に怒りを訴えればよかったケルアック「路上」などに比べて、ウィルソンが幅広く支持を後世に残せなかったのは、世のほとんどの人はそこまで覚醒できないからである。
できるのは、覚醒したつもりになることだけなんだから。

ちなみに、私は覚醒を諦めている。どうせいつかは永遠の眠りにつくわけだし、覚醒だのなんだの、面倒ではないか(苦笑)

この「迷宮の神」は、そのウィルソンのポルノである。
というか、ポルノというフォーマットを使ったウィルソンの小説である。
よって、主題は同じで「知的覚醒」というやつなのだ。

主人公のソームは作家で、性を扱った「ソームの日記」という著書を発表して有名という設定。
そのソームが、中世の埋もれた人物エズマンド・ダンリイなる人の生涯を追っている。伝記を書こうとしているのである。
それで、ソームは、ダンリイの子孫や関係者に会っていく。
もちろん、ポルノグラフィのフォームであるから、それらの物語はポルノなのである。
嫌らしい描写が満載で、とても楽しめるが、途中から辟易してくるのは、私が日本人なので淡泊だからだろうな(苦笑)

最後にソームは、不死鳥教団なるカルト教団の教主に会う。
不死鳥教団は、日本の立川流などと同じく、性体験を通じて神に近づくという教義である。
ソームも、ダンリイも、性に興味があるわけではなく、性を通じた体験によって得られる知的な覚醒を重んじている。

まあ、コトが終わった後の男性にある「神モード」じゃねえか、といえば、それだけの話かもしれないなあ。

評価はナシ。
ウィルソンは、あまり好きでもないので。
図書館での独学という人には、こういってはなんだが、何か全体の知のバランスとして可笑しいところを感じる。
マルクスもそうだが、有るところで異常に鋭く、しかし逆に、あるところですっぽり欠落した感じがする。
なにか、その変なところが気になる。孔子のいう中庸の徳に欠けるのである。
私も年をとったのか、そういうあたりが気になるのだ。

どうでもいいが、なんだかもうちょっと淡泊な本が読みたくなった。