Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

遅番記者

「遅番記者」ジェイムズ・ジラード。
手元不如意の時のもっとも手軽な娯楽は本である。なにしろ、古本屋という商売もあるのだ。
しかし、カネがなくても娯楽を人は求めるのだな。「遊びをせんとや生まれけむ」そこまでかっこよくはないか(苦笑)
で、本書である。
私は、アメリカのハードボイルドという奴が大好きなのだ。うらぶれた中年男が、泣き言をいわずに、そこら中を徘徊しまくって犯人を捜す。その動機は、カネでもなく正義でもなく、復讐でもない。
傷ついた己を癒すために、そういうことをするのである。
たぶん、私自身に、そんなデカダンス的な要素があるんだろうな。
本書の主人公はサム・ホーン。遅番記者である。みんなが帰宅した頃に出社。夜半に飛び込むニュースに備える。明日の朝刊に間に合わせるためであるが、基本的には閑職だ。
夜間に、自分のデスクに座りながら、ひたすら飛び込むニュースを待っている。
サムがそのような生活を送るようになった理由は、妻に先立たれたからである。その妻は、自分の上司と浮気をしていたのだ。
死後に、妻が残した膨大な日記を読みながら、一人新聞社で過ごすのがサムの日課というわけである。
ある女子大生が全裸で殺されて、老刑事がこれを追う。一緒にサムも追いかける。
その老刑事も、家族をとっくになくしている。
二人の男は、事件を追いながら、孤独な独白を繰り広げるのである。
主要登場人物としては、このサムの亡くなった妻と不倫していた上司、そして現在の浮気相手の女性。
サムは、復讐のために、この女性と付き合おうと考えるのだが、それもバカバカしいことだと気がつく。
そうではないと気づいたときに、なぜか二人は突然恋に落ちてしまうのだ。
で、哀歓がえんえんとつづられて、物語は突然、犯人が捕まって終わる。
ニューヨークタイムズ・ブックレビューがこれを激賞したそうである。
うーーーん。。。。
いやあ、これはやっぱり、日米の違いというか、環境の違いを如実に表しているなあ。
日本で、この小説が高い評価を得ることは、まずないだろう。評価すれば、無☆である。早々と絶版も、むべなるかな。
これというクライマックスも何もない、壮大な謎解きもない。日本人的な胸を打つ人間ドラマ(浪花節とか)もない。
孤独と嘆き、中年男の熾火のような性欲、亡くなった妻への追慕。
だけど、これがニューヨーカーにとって「リアル」だと感じられるわけだろう。
思うのだけど、ひょっとすると、日本でも、このような小説が「リアル(つまり、高い評価を得る)」に感じられる時がくるのかもしれない。
離婚率は上昇する一方で、あちこちで家族が崩壊しているわけである。
中年男が、ぱっとした職業にもつけず、孤独を癒すこともできず、ただ抜け殻のようになって毎日を過ごすような環境は近づいていると思う。
わたしもしがない中年男だから、本書にただよう哀愁は他人事ではない。
しかし、最近の私は、それをあまり考えないようにしているのだ。
理由は簡単で、考え始めると、それこそ果てしなく落ち込むからである。
「小人閑居して不善をなす」という。自分はつまらない人間だと思い知ったから、なるべくつまらぬことは考えないようにしているのである。
それでも、たまに考えてしまうので、このようなブログを書いてしまうのだが。
つまり、このブログ自体が、まさに「不善」のカタマリというわけだ。
がっくりするけど、ま、そんなところなんだろうなあ。