Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

反戦軍事学

反戦軍事学林信吾

amazonで酷評されまくっていて有名(笑)な本である。面白そうなので野次馬根性で読む。

著者は「軍事知識というものは、戦争反対と叫ぶ以前に、市民常識として身につけておかなければならない」と主張する。
「戦争反対だから、軍事のことは知らなくてもいい」はマズイじゃないか、という著者の指摘は、そこだけ見れば至極もっともに思える。
しかし、問題なのは、そういう著者自身の軍事知識がかなり危ういものであることだ。

amazonでも指摘されているが、まずは「戦艦大和の片道特攻」がある。
既に、大和の燃料が片道ではなかったことは、多くの資料によって明らかになっている。
片道特攻説は、最後の戦艦出撃を愚行化しようとした宣伝の産物であるのだが、この手の民間伝説をあっさり信じてしまうのは、少なくとも一般市民ならいざ知らず、新書を上梓する作者としては問題があると思われる。
自衛隊法61条(自衛隊員の政治活動の禁止)も、普通の公務員と全く違いはない。ことさらに、軍隊だから、、、というわけじゃないのである。
我が国を守る自衛隊員が、たとえば尖閣諸島に出動したとして「尖閣諸島はもともと支那のものだと確信する会」の熱心な活動者だったら、たいへん困るわけだが、同様のことは外務省職員にも言えるはずである。
そのほか、税だとか登記だとかを考えていくと、驚くほど行政と領土問題は深く密接なのであって、軍事知識どころの騒ぎでなく、一般常識をもって慎重に考えればわかるはずの話であろう。

まあ、そのほかを上げればキリがないので、このあたりがamazonの百戦錬磨の書評子にたたきのめされてしまうゆえんであろうなあ。

中には、かなり良い線をいっている指摘もあって、効果でひ弱な我が軍の装備はどうよ?みたいな話はなかなか良かった。
なにしろ、武器輸出3原則を貫く我が国では、必然的に競合がない。武器を国産化すれば、ほぼ自動的にメーカーは決定する。
そのメーカーには、多数の防衛省出身者が天下りいけね転職してるとなれば、著者じゃなくても怪しむのが普通だ。
極めてまっとうな指摘もあるのだが、なにしろ、肝心の軍事知識であまりに凡ミスが多く、それが本書の価値を大幅に損なってしまった。

評価は残念ではあるが無☆。惜しかった。
もうちょっと、慎重にやって貰えれば。

核武装に関する議論は面白かった。著者は、核保有が核戦争の回避になるなどという議論は、そもそも成り立たないという。
現在の世界を考えれば、核を持っていても実際には使えない。通常兵器同士の武力衝突になるのだから、膨大な予算を核につぎこむのは愚かであるという。
しかし、実際には、核保有を明言した国に攻め込んだ例もなく(だから北朝鮮があれだけこだわったのである)唯一の被爆国たる日本には、核がなかったことも事実である。
核武装論者が言う「世界で唯一、核による被害を被った国として、核武装の権利がある」という主張をつき崩すだけの根拠には乏しい。
私自身は、どうも核というものが嫌いで、正直なところ、推進派になりきれないでいる。
しかし、近隣諸国がすべて核保有をすることになれば(つまり、韓国あるいは台湾も核を保有したような場合)それでも我が国は核を持つべきでないと断言する度胸はない。
日米安保は見直せ、などという主張もあるが、それならば核武装せよ、というのが私の意見である。
国際社会というものは、まったく油断することはできないものだと思うからである。他国は、もちろんアメリカも含めて、決して信用してはいけないものだとしか思えない。
つまり、「日米安保保持」だからこそ「核兵器反対」を叫べるわけで、それを二股膏薬であると批判するなら、それが政治だと私は答える。
政治は、思想ごっこではないので、現実に回答を与えることが目的である。首尾一貫した美しさとは無縁だと思うからである。

そういえば、日本人は「ホンネと建前」で生きてきた。
なんでもホンネならば良いという議論は粗雑である。美しい建前というものがあって、しかし、がっかりするようなホンネがある。
そういう世界のほうが、人間らしくて良いと私は思うのだけどねえ。