Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ひるめしのもんだい

「ひるめしのもんだい」椎名誠

椎名誠のエッセイである。エッセイというと格好いいが、ま、早い話が雑文という奴です。
随筆というと文学的薫りが漂うのであるが、椎名誠氏の場合は、どうみても雑文でしょう(笑)

椎名氏は、この雑文の名手なのである。
一世を風靡した「昭和軽薄体」だから、という話ではない。視点がいつも面白いなあ、と思う。
一口でいえば、著者は、だいぶ「ヘンな奴」なんだろうと思う。

表題の「ひるめしのもんだい」だが、おおよそ以下のような話である。
サラリーマン時代は「昼飯に何を食べるか」ということが、一日の重大な問題であった。
あれを食おう、これを食おう、と考える。
で、会社に居たりすると、なぜか一緒に昼飯を食うグループが出来る。すなわち、社内の暗黙の派閥である。
みんなでがやがやと連れ立って、大して食いたくもない昼飯を食うことになる。
それがイヤだった著者は、そういう中に入らぬように用心しながら、自分の好みの弁当を買ってきて食ったりする。
ひるめしが気を遣う時間になってしまったわけである。
そのうち、著者は独立自営業者となった。
つまり、今度こそ、自分の好みの昼飯を、誰にも気を遣うことなく食うことが出来るわけである。
まさに昼飯楽園時代が到来、、、かと思いきや、そうはいかない。
なんとなれば、昼食時間はどの店も混んでいる。独立自営業者は一人で飯を食うしかないのだが、そうすると、やむなくどこでも他人と相席になる。
こちらも気を遣うが、相手も気を遣う。気を遣いながらの昼飯では、どうもうまくない。
そこで、なんとか混雑時間を外して食いにいくことにするが、そうすると、うまそうな人気メニューは「売り切れました」となる。
そうこうしているうちに、まあいいや、今日は昼飯抜きで行こう、などとなり、ついには飯を食わなくなってしまった。
だから、著者の飯は一日二食、朝と夜だけであり、夜は酒を飲んでしまうので飯は食わないから、朝飯が唯一の本格的な飯になった、ということである。

この話はよくわかる。
独立自営業者でなくても、零細業者だと、昼飯の電話番やら外出やらで、だいたい一人で飯を食わないといけない。
やっぱり著者と同じパターンに陥ってしまう。
ただ、私の場合は、朝はだいたいコーヒーしか飲まないので、やっぱり腹が減るから、昼飯は食べる。
一人で食べる昼飯は、いろいろと、それなりに悩むものである。

評価は☆。軽く読むにはいいんじゃないか、と思う。
雑文だって、捨てたモノじゃない。みんながみんな、眉間に皺をよせて大テーマで悩むこともないのだ。

たしか、本書だったと思うのだが、なるほどと唸った指摘があった。
最近、警察の不祥事が話題になっているが、これは世界では珍しい現象ではないか、というのである。
というのも、世界でポリスといえば、だいたいはヤ○ザと同じ、決して関わり合いになるな、という国のほうが遙かに多数派だからだ。
世界的なスタンダードで言えば、ポリスは剣呑な人間であって、しかも権力を持っているだけに始末が悪い、というほうが常識なのである。
日本の警察官のように、愛されるお巡りさん、信頼を勝ち取っている警察官などは、非常な例外なのだ。
だから、警察の不祥事に対しても、著者は言う「やっと、日本も世界並みになってきたということではないのか」
突き放した意見だが、しかし、ううーんなるほど、、、と思わざるを得ない部分があるのだ。
言いたくはないが、新○警察なんて、あの警察小説の舞台になったのも理由があって、すごい腐敗ぶりなのだ。
裏で手を回せば、何をしても不起訴はおろか、気に入らない奴を逮捕くらいは朝飯前なのである。これは事実だ。
私の知るところでは、不起訴事件のほうがもっと悪質なのである。
ちょうど小沢氏の検察審査会による強制不起訴が話題になっており「プロの検察が不起訴を決めたモノを、素人が勝手に起訴とは人民裁判」などと見当違いの意見を見かけるが、実態を知らないで勝手なことをほざくな、と思う。
常識が通用しないから、そんなものが必要になったのだ、ということである。

私の文章も脱線の連続、まさに雑文になってしまいました(苦笑)