Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ただマイヨジョーヌのためでなく


自転車乗りには聖典のような本なのであるが、今まで未読であった。
なにしろ、ランスといえばツール7連覇である。巨人、大鵬、卵焼きどころの話ではない(ふるいね~)。
つまり「憎らしいほど強い」のであった。
そんな奴の成功ストーリーなんて、読みたいわけないだろう。他人の自慢話を金払ってきくほどの馬鹿じゃない!

ところが。
ついつい、古本屋で入手してしまい、私は前非を深く悔いることになる。
これは、そこらのバブル時代の不動産屋のオヤジの自慢話とはワケが違う。
悪性の睾丸癌が脳にまで転移し、生存率40%(それすら嘘だった)と宣告された前途有望な若い自転車レーサーは、抗がん剤の副作用でついには自転車に乗ることすらできなくなるのだ。
隣を素人の女性のマウンテンバイクに抜かされ、やっと自分の体力の激減ぶりに気づく、、、そして、近所の山で倒れると、それっきり起き上がれないほどの有様であった。
そんな彼が、健康保険もない(ちょうど契約が切れて、更新前に発病した)だから金もない、体力もない、その状況からどうやって立ち上がったか?克明に本書にはかかれている。
ランスは言う。「自分は、自転車選手であるよりも、癌生還者だ」二度目の人生を与えられるなら、精一杯やるべきだといい、自分の人生でおきた最良のことが癌だという。
睾丸を片方切除、脳も転移箇所切除、抗がん剤でぼろぼろになった体で、彼は世界最大の自転車レース「ツールドフランス」を7度も制したのである。
その行程実に4000キロ、20日間のレースだ。日本人選手はようやく数えるほどが、エントリーしたレースなのに、である。

本書の訴える内容は、きわめてシンプルだ。
癌は誰にでも起こる。そして、病気に理由はない。
いかなる善人であれ、どんなに前向きで明るい人であれ、癌で人は死ぬ。
そして、どんなに嫌味な奴であれ、悪人であれ、これに打ち勝った人は生き残る。
治癒率は何パーセントと医者は言う。
しかし、患者本人にとって、治癒率は関係ない。
1%であっても、その1%に自分がなれれば。それは100%なのである。
逆に90%治癒する病気だとしよう。残りの10%になってしまったら、本人にとって90%の数字が意味があるだろうか?

だから、ランスは、治癒率は患者にとっては関係ないのだという。
「私」がすべて、なのだという。その究極のエゴゆえに、患者はいらだつ。そのいらだちを、ランスは赤裸々に書く。
だからこそ、そこからの回復の過程で「さあ、今から走れるんだ」と言われても、なにをしていいのかわからないのだ。
「これなら、癌になっているときのほうが良かった」とさえ思う。つまりは、闘病という目的があったからだ。
「明日から自由に生きてよいのですよ」と言われて、人は戸惑うことがある。
そのとき、自分自身の心の声に耳を傾けなければならない。
ランスは、その声が「ツールドフランス」だった。そのほかのレースは、もう出たくなかったのだ。
ツールに出ることだけを考えて、そのための準備しかしなくなった。

私は、かねてから、そんなランスの態度を傲慢だと思っていたので、今まで本書に手が伸びなかったことがある。
しかし、本書を読んでみて、それが間違いだったことがよくわかった。
自分の心に素直に生きて、その結果が「ツール」だったとしたら、そのために全力を尽くす。ほかは捨てる。
これは、傲慢ではなくて、ただただ夾雑物をそぎ落としたシンプルな生活にすぎないわけだ。

評価は☆☆☆。
ランスこそ、史上最強のマイヨジョーヌだと、私は認める。
その後のカムバックを含めても、である。
ランスは、いったん引退したあと、再びツールに帰ってきた。しかし、かつてのようには、もう勝てなかった。
前人未到の7連覇の後で引退したままが美学で、カムバックは余計なことだったという評価もある。
しかし、私は思うのだが、ランスは「勝てなくなった王者」を生きたくなったのだ。
もちろん、勝つつもりで出る。必死に戦う。ただし、すでに峠を越した年齢体力では勝てない。元王者という看板で勝てるほど、ツールは甘くないのだ。
ランスは勝てない。それを精一杯にやった。
「勝てないランス」を、本人は生きたかったに違いない。だから悔いがないのだと思う。

私も「勝てなくなった」ビジネスマンなのだろうと思う。
株式公開したときは、勝ったと思った。
しかし、それでいいのだ。
私は、勝つために、必死の努力を傾注するべきなのだ。それをランスに教えられた。

皆が「自由に生まれた」ことになっており、そして「何がしたいかわからない」という。そんなことは当たり前だとランスなら言うだろう。
癌になって、余命いくばくもないことになれば、きっと本当にしたいことがわかる。
自分探しに海外旅行に行ったり、本当の愛を求めて恋愛遍歴を繰り返す必要なんてないのだ。ただ「死ぬ」ということがわかりさえすればよい。

私は、そんな年齢はとうに過ぎてしまったけれども、それでも死力を尽くさなければならないことに代わりはない。
生きるというのは、そういうことだ、そうランスは教えてくれる。
名著である。