Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

名をこそ惜しめ

「名をこそ惜しめ」津本陽

高名な時代劇作家は、果たして大東亜戦争屈指の激戦をどう描くのか?
そんな興味で読んだのだが、さすがに迫真の描写はすさまじく、圧倒的な筆力を感じた。

硫黄島は栗林中将による後退配備と肉弾戦で、米軍史上最大というべき大出血を強いた戦いである。
火山の島では、満足に水を得ることすらできず、穴を掘るとどんどん温度があがる炎熱地獄の中で、食料も弾薬も欠乏したまま、日本軍は戦い続けた。
米軍側の記録にいわく、病院船の中で大手術を要するものは、かのノルマンディーで5%程度であった。
硫黄島は、おどろくべきことに90%が重傷を負っていた。
彼らは、「1ヤード1ヤードが、血の前進である」と述べている。

無限とも思える米軍の砲弾で、日本兵はなぎ倒される。まさに、ただ殺されるのである。
その有様に、日本兵には限界状況の中で怒りが生まれたという。
「お前らだけには、殺されない」
手りゅう弾を投げつけ、敵の手りゅう弾を拾って投げ返し、小銃を撃ち、それもなくなれば相手のガーランド銃を奪って戦う。
それもなくなると、日本刀で切り込みをする。
「お前らだけには殺されない」
負傷し、最後に地面に座り込み、地下足袋で銃の引き金を引いて自決した。
死なねばならぬ運命を悟ってなお、米兵に殺されるのは拒否したのだ。
この鮮烈な風景は、本書を執筆中に、著者が見た夢なのだという。あまりにも生々しかったので、書かずにおられずに書いたのだという。
今でも、硫黄島には霊が出ると言われており、自衛隊ではその話が有名になっているという。
きっと、著者に英霊が知ってほしくて、夢の中で伝えたものであろう。
世の中には、その程度のことは起こり得る。

評価は☆☆。

アメリカの記録として、たいへん心に残る描写があった。
穴の中から、ひげ面の大柄な日本兵がでてくる。さかんに屈伸体操とかやっている。
そこに、アメリカの戦車がやってくる。
ひげ面の日本兵たちは、恐れることなくアメリカ戦車にとびかかり、のぞき穴から爆弾を投げ入れてとめてしまい、大きなハンマーをもってきて戦車の砲身を叩いて折ってしまう。
そこに、次の戦車が来る。今度の戦車は、用心してのぞき穴をふさいでいる。たちまち日本兵は蹴散らされ、壕の中に逃げる。
すると、またひげ面の日本兵が出てくる。ポケットから写真を取り出し、涙を流し、妻子の名前を呼ぶ。
写真に向かって、何度も頭を下げ、涙を流していたが、そのまま猛然と戦車の下に身を投げる。
やがて爆発。彼は、爆弾を抱えたまま、戦車の下に飛び込んだのである。。。
こんな戦闘が、あちこちで行われた。

たまに、日本の戦闘機が出てくる。
すると、日本兵はみな、戦闘も忘れて見入った。
アメリカの爆撃機に果敢に攻撃するが、なかなか落ちない。
すると、最後には体当たりする。2機の飛行機が、海に落ちていく。
「ああ、俺たちのために死んでくれる」と、地上の日本兵は涙を流した。

日本人として、硫黄島を忘れるべきではない。
あの戦争が間違っていたとか、あるいは逆にむやみに誇るべきではない。
誇る人が、自分で戦ったわけでもあるまいに。
間違っていたと批判する人が、あの戦争をとめられたわけでもあるまいに。

私は、ただただ、深く頭を垂れるのみである。