Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

憚りながら

「憚りながら」後藤忠政

あの山口組系で「経済ヤクザ」「武闘派」として鳴らした後藤組の組長、後藤忠政氏の回想録である。
もちろん、いろいろと、墓場にもっていかなくてはいけない話も多いわけである。
後藤氏としては、今の時点で、話せることだけを話した、ということであろう。

本書を読んで気づくのは「ヤクザの論理」である。
普通の生活を行っている人間から見ると、およそヤクザは非合理で暴力にモノを言わせて無理を通す人間だということになる。
しかし、面白いのは、当のヤクザはそれなりに「筋を通して」いることである。

たとえば、一例をあげる。
橋本内閣時代の北海道兼沖縄開発庁長官が、手形を割ってほしいと持ちかけてきた。明らかに自己融通手形である。
これを、後藤氏は割る。たぶん、それなりの手数料はとったと思う。
ところが、この手形が不渡りになった。いや、本人から「待ってください」と言ってきたのだが。
で、後藤氏は「てめえ、現役の大臣のくせに、不渡りをつかませやがって、ふざけんな。」となる。これは当たり前である。
その次がすごい。「お前みたいないい加減な野郎を大臣に任命した橋本総理にも責任がある。今からおしかけて、総理に責任をとってもらう」となる。
すると、派閥の領袖である江藤隆美氏がとんでくる。「このたびはすいませんでした。1,2か月以内にちゃんとさせますので、そこはなんとか」という。
後藤氏は、領袖の江藤氏が出てきたから仕方がない、そこは話をきいたのだという。
これを、どう思うだろうか?
普通は、不渡り手形を出す奴は悪いが、そこで総理大臣に行くのはないし、まして派閥の親分がでてくるのも変である。
しかし、ヤクザの論理は違うのである。相手の親分が出てきた、話をした(普通にいえば、示談である)というのは、そこでまずは「手打ち」なのである。
その裏には、もしも「ちゃんとしなかったときは、面倒を見てもらう」という前提がある。なんのことはない、連帯保証なのである。
より資力のある相手に連帯保証をさせて債権確保をする我が国独特の金融手法「連帯保証人制度」と、変わるところがないのだ。(逆にいえば、連帯保証をとる金融屋は、ヤクザと手法においては同じだ、ということ。外国にこの制度はない)

また、創価学会との癒着や池田大作の豹変ぶりなども、なかなか読みごたえがあった。

後藤氏はいう。
暴対法や排除条例によって、ヤクザは今や「ヤクザだ」と名乗ることもできないし、銀行に口座を作ることもできない。
ここまで追い詰められたら、ヤクザは地下に潜るしかなくなる。マフィアみたいに、気のいい商店主が、夜はマフィアになっていたら、それこそ治安維持に問題ではないか、という。

後藤氏の言い分は、一理ある。だいたい、人権という原理原則からいえば、これも差別に違いない。集会や結社の自由にも抵触するのではないか。
しかし、なぜか人権に熱心な左翼は、ヤクザの人権保護には熱心でない。
周知のとおり、ヤクザは右翼が多いのである。左翼にとっては、右翼は人間のうちに入らないのだろう。彼らのお家芸ダブルスタンダードだからねえ。

評価は☆☆。
充分に面白い。FBIとの取引などは書かれていないが、まあそれは仕方がないだろう。

ヤクザが嫌われるのは、彼らはもともと「平等」という民主主義の共通する前提条件を信じていないからである。
人間に平等はない、親分子分か、兄弟分であって、兄弟分も64とか73とか、配分が違う。それは力の関係である。
しかし、これは世の中の(認めたくはないが)真実である。
どうして、話し合いで物事が解決しないのかというと、本当は平等ではないので、そもそも5分と5分の話し合いはないからだ。
相手の力が強ければ、強い奴の言い分がとおる。それは事実である。
ヤクザは、そういう意味で法治国家に対する挑戦者なのだ。

私たちは、日本国憲法という「人は生まれながらに平等」という幻想を信じている。
話し合いでは解決しないことがある、というのは、国際関係をみればわかるとおりである。
太平洋の小島と経済大国が同じ1票のわけがないだろう(笑)。
ただ、そういう幻想があるだけだ。一皮むけば、五大国の拒否権があったり、敗戦国条項がある。その中に日米安保もある。
世の中は、平等ではない。

平等を信じ込んで慣れすぎてしまっているのであれば、本書の一読を進める。
大いに参考になるはずである。
あまりにも「その通りだ」と思いすぎたら、それは危険人物なのだけど(苦笑)