Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

シェエラザード


戦時中に、安導権をもった客船改造の輸送船「弥勒丸」が、連合軍の捕虜へ食糧を配給する目的で、日本、高雄、香港、シンガポールと旅をする。
乗り組む面々は、いずれも一癖もふた癖もある連中である。
決して、軍のいいなりになったりしない。
この船は緑の船体に白十字をつけて、連合軍からも国際法上の安全交通を約束されている。
連合軍としては、捕虜への食糧輸送に日本に協力させる、ということになる。戦時中でも、人道上の配慮として、そういう合意はあるからである。
日本としては、お駄賃ももらわずに船を航行させるわけだから、駄賃代わりに帰りの航路に何かを積む、という話になる。
これは仕方がないので、本当は軍需物資の輸送は禁止なのだが、連合軍も黙認することになっていた。
なぜなら、そうしないと、帰りはカラ船になってしまい、びた一文貰わない船の航行で捕虜の食糧だけを運ぶことになる。
いくらなんでも、その交渉は成立しないので、まあ黙認、という成り行きなのである。

船の乗組員は、誰も帰路の積み荷が何かを知らなかった。
船の指揮をとる陸軍参謀すらも知らなかった。
ところが、船の積み荷は、金塊であった。
船は、帰りの航路を大きくそれて、上海に向かう。上海貯儲銀行に届けるためである。
汪兆銘政権をささえる上海貯儲銀行は、日本不利の戦況の中で取り付け騒ぎが起こり、破綻寸前であった。
もしも上海貯儲銀行が倒れれば、汪兆銘政権は瓦解し、日本が戦争をする意味がなくなってしまう。
日本は、汪兆銘政権を支えて、大陸経営をしたいから戦争を始めたわけであるから。
何が何でも金塊を上海へ運びたい日本の企図は連合国に察知され、米潜水艦の待ち受けによって雷撃を受ける。
1本や2本の魚雷で沈まないはずの弥勒丸は、片舷4本の魚雷によって轟沈。
生存者わずかに1名、乗船していた無垢の民間人2000人が海の藻屑と消えた。
ただちに米国は軍法会議を開いたが、潜水艦艦長の「当日は荒天で、客船を駆逐艦と誤認した」との証言で無罪となる。茶番であった。

随所に浅田次郎得意の浪花節があふれて、期待を裏切らない。
なんというか、まるで講談を聞くような語り口。達者なものである。
評価は☆。

この話には、元ネタの実話がある。
「阿波丸事件」である。
まったく同じような話で、戦時中に安導券をもった阿波丸が米潜水艦の雷撃を受けて台湾沖で沈没。
わずかに生存者1名であった。
この話も不明点が多くて、そもそも、なぜたかが輸送船に魚雷を3本(4本説もある)放ったのか、不明なのである。
普通の輸送船は1本で撃沈されるものだし、命中率を考慮しても2本しか撃たないものである。
しかも、潜水艦は足が遅いので、輸送船を撃つためには、待ち伏せをするしかない。
どうして、阿波丸を待ち伏せにしたのか?
そのため、戦後に
「阿波丸は金塊を載せていた」
という噂が流れた。
ところが、思わぬところから、話はほころびを見せる。
日本の外務省に「阿波丸を引き上げたが、金塊が見当たらない。場所を教えて欲しい」と中共が連絡してきたからである。
びっくり仰天した日本政府だが、当時の記録をあたって不明だと回答。
中共は、船内で発見した遺骨を、中共による遺骨返還活動だと言って日本に返還。
日本政府が謝意を表し、当時の朝日をはじめとする新聞が「日中友好」を書き立てた。
「日本政府の遺骨収集が進まない中、中共による暖かい配慮」というわけだ。
実態は、アテが外れた欲のいきつくところだったのである。まことに、あきれた話なのである。

そういう実話は、国際政治の現実を知るのには、役に立つ類の話であろう。
ただし、小説とは関係ない。
この小説は、有名なリムスキー=コルサコフシェエラザード」に着想を得た、夢のような航海の物語だ。

私も、シェエラザードの演奏を何枚か所蔵している。
一番気に入っているのは、コンドラシン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウのphilips版である。
ややノイズは多いが、演奏は誠に素晴らしい。
この曲の最大の聞き物は、コンサートマスターによるソロ演奏パートだ。
普通のバイオリン協奏曲は、独奏者が招待される。
しかし、この曲だけは、第一バイオリンの首席奏者(コンサートマスター)が、ソロパートを弾いて見せる。
コンドラシン盤では、ヘルマン=クレバースがコンマスである。
彼のバイオリンの音は、細く、悲しく、美しい音色を持っている。
夜が明ければ殺されてしまうシェエラザードの「むかし、むかし、、、」という語り口を髣髴させる、少女のごときバイオリンなのである。
興味がある向きは、ぜひ聞いてみて欲しい。
この曲の決定版と世評が高いが、まさにそのとおりと膝をたたくこと間違いなしの名演である。