Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

中国経済あやうい本質

中国経済 あやうい本質」浜 矩子。

辛口で知られる浜女史の本であるが、著作はそうでもない(苦笑)。
新書だから、薄いしね。

最近、「支那経済の崩壊」が噂されるようになっている。
本書が説くところは、それらの諸説とほぼ、同じである。

支那は、ご存じのとおり急成長したが、浜女史いわく、そこには「あやうさ」が潜んでいる。
それを、著者は「学園祭のような書割経済」と喝破している。
一見すると、派手派手しく、賑やかで、人々は熱に浮かされているようである。
しかし、そこをよく観察すると、薄いベニヤ板の書割が透けて見える、というわけだ。

支那は「世界の工場」と言われるが、世界の工場に「なった」のではない。
その工場はほとんど外資によるものであり、実際には世界の工場に「された」ので、つまりは先進諸国の都合によるものだ、と指摘。
それら外資が、支那の人件費の高騰を受けて、再び脱出を図って生きていること、2015年を境に人口ボーナスを失うこと、経済統計がまったく相手国と一致しないこと、内需の過半がインフラ投資であること。
これらの条件をもとに見れば、支那経済の減速はもちろん、へたをすると支那発の世界恐慌まであり得るだろう、というわけだ。
経済的な観測としては、十分に妥当性がある。

評価は☆。
読み物としては、まことに面白い。

本書には、経済統計その他のデータ類や図表が欠けている。
だから、学者の本というよりは、エッセーみたいなものだ。
しかしながら、そもそも支那の統計自体がまったく信用できないシロモノなので、そんなデータをもとに経済を論じても、たぶん何もわからないのではないか。
さらに、最近では、理財商品の破たんによる金利急騰を受けて、経済ニュースの報道そのものを大本営発表一本にするように、というお達しである。
もうめちゃくちゃである。

支那は、たしかに「急激に大人になることを強いられた」国である。
歪みが、あちこちにある。
しかし、その支那が、いわゆる「普通の国」になることがあるのだろうか?

私は、とても難しいのではないかと思うのである。
支那の人口ですら、正確には把握できないのであるが、まあ14億とか15億とかいう人民を食わせていくだけで、もう並大抵のことではない。
そこでは、結果がすべてを正当化する。手段はとわない、食えればいい、という話になってしまうのだ。
普通の国家のように、手段の正当性を意識することすらないであろう。(まあ、日本の隣国には、司法が権力に阿って訴求法を堂々と開陳している未開国家もありますがね)

きけば、中共の幹部連中は、すでに続々と外国籍を取得し、国外脱出を図っているという。
国の指導部みずからが、国を棄てる。
そこまできているのではないか、と思うのである。

思えば、大変なことである。
支那が崩壊することが大変なのではなく、その崩壊によって世界が揺さぶられる、そのほうが恐ろしい。
すでに、支那経済は、世界にしっかり組み込まれてしまった。
ソフトランディングを願わないわけにはいかないのである。