Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

決戦下のユートピア

「決戦下のユートピア荒俣宏

私は毎年8月に繰り広げられる「戦争の反省さわぎ」にアキアキしているのである。
だって、戦後生まれで戦争経験がないうえに、生まれてこのかた50回も、変わり映えしないものを見せられているんだからね(苦笑)
しょうがないでしょ。

その「変わり映えしない」代表が、戦争下で日本の庶民がいかに苦労したか?という話である。
もちろん、苦労したに違いないけど、他人の苦労話を何度も聞かされるほうは、たまったものではない。

そこに、荒俣御大の登場である。
博覧強記でなる現代の博物学者だと思うが、巻頭言が素晴らしい。
「歴史については、真正面から取り組まないことにしている」と荒俣氏は言う。
彼は一つの例をあげる。第二次世界大戦の呼称を戦後GHQが決めた「太平洋戦争」にするか、あるいは「大東亜戦争」にするか。
太平洋戦争をとれば、どうして日本の当時の呼称である「大東亜戦争」ではいかんのか?という話になる。
必然的に、立場は「どっちか」に収斂せざるを得ない。決して相いれない立場であることは衆知のとおり。
なので、荒俣氏は、こういう問題を「スルー」するのである。
真正面でなく、半身で構えるわけだ。
その半身の氏が掘り起こした決戦下の民衆の生活は、抱腹絶倒の代物であった。

まずモンペである。
あれこそ日本女性の伝統美を破壊したというのは戦後の見方であって、あれは歴とした和服である。
機能性を重視して、和服の下にあれをはいたのであった。
ところが、軍人をはじめとする男連中は、その姿をみたくなかったらしい。
「着方が悪い」だの「そもそもモンペを推進するべき主婦の着方がだらしない」だの、さんざん。
で、その「推進するオバサマ方」は、都会の娘のモンペが「どんどん華美になっていっている」と文句を言っている(笑)
で、おまけに。
終戦後、上陸した米軍がモンペをみてびっくり。「あれはなんだ」
日本人が「婦人服です」と説明したら
「あれは、パジャマそっくりで、米軍兵士の欲望を刺激していかん。ただちにやめさせろ」
ですってさ(爆笑)。
まったく、なにがなにやら、、、ですよねえ。

ついで、寿司の話。
決戦下で何が不足するといえば、まず食糧、米である。
そこで、コメの量を増やすために「玄米、いや五分づきか七分づきくらいにすれば」となった。
そうすれば、量が増えるし、栄養価もとれる。
ところが、これに敢然と反対したのが江戸前寿司の職人たちだ。
「そんなコメは寿司酢を吸わねえ。寿司が握れるか」と文句をいった。
当局は「決戦下であるから、そんな商売は廃業しちまえ」とくる。
ところが、何を隠そう、そんな寿司を食いたいのは政治家や軍人のお偉方なのである(笑)
そこで統制経済の登場で、一貫10銭とした上に、一人あたりの金額も決めた。
ところが、これも守らない。人数さえ誤魔化せば、いくらでも寿司をだせるわけだ。
で弱った当局は、しまいには寿司屋を「特級、一級、二級、三級」にわけた。
特級の寿司店は、自由に価格をつけられる。一級もまあまあである。
二級、三級は統制価格となった。
そうすると主な寿司屋は、みんな一級以上になってしまった。二級、三級は数だけ多い幽霊店舗ばかり。
そういうわけで、金さえ出せば、少なくとも昭和19年までは寿司も食えたのであるという。

読んでいると、思わず吹き出してしまう話の連続である。
評価は☆☆。
まさに荒俣御大。
紋切り型の「戦時生活」の見方が一変すること、請け合いである。
特に傷痍軍人との結婚を若い娘が純情に進めようとするところを、母親が「一時の感情でとんでもない」と一蹴したり、
目の見えない息子に美人の嫁をあてがってやろうとする母親とか、当時の国策を骨抜きにしてしまったのは、まったく日本の母親たちだったという指摘には、もう笑うしかない。

私は、たぶん、こういう半身に構えた姿勢が大好きである。
世の中、そんなものであろうと思っている。
勝った勝ったというアメリカさんも、結局、戦後に発展したのはドイツと日本ばかり。
その日本でも「大東亜共栄圏の国は皆、戦後独立したではないか」と口惜しがるのは「負け惜しみ」にもほどがあって、おかしいことこの上ない。
だからといって、負けたものを「勝った」と強弁するのは、無理がありすぎじゃん(苦笑)

こんなのを、口角泡を飛ばして論じることはないのである。
思わず、ニヤニヤしてしまっていいのである。
しょせん、酒場の与太話と変わらんのである。
それで、いいのだ。