Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

二十世紀日本の戦争

「二十世紀日本の戦争」阿川弘之中西輝政福田和也猪瀬直樹秦郁彦
二十世紀日本の戦争、すなわち日清戦争から湾岸戦争までの対談本である。

戦争というと、日本人は「戦争反対」「もっとも愚行」という条件反射的な判断をする傾向がある、と思う。
しかし、では、我々の祖先は、そんなこともわからない「おバカさん揃い」で、指導者たちは「世界征服の野望に狂った極悪非道な犯罪者」だったのであろうか?
実は、そうではないのである。古人をそこまで「馬鹿だった」と思うのは、後世に生きる人間(つまり結果を知っている)の増上慢である。

では、「戦争は歴史の必然」なのであろうか?
歴史にifは禁物であり、「もしかしたら」はあり得ないのか?

この対談本は、一流の論客を並べて、日本の戦争の歴史を俯瞰したもので、非常に面白い本である。
阿川弘之は、このメンバー唯一の従軍経験を持つ。海軍である。
中西輝政は有名な保守主義の論客。
福田和也も保守派と目されているが、もとより高名な文学者である。
猪瀬直樹は、いわずとしれた作家にして、収賄の疑いで都知事の座から転落したという兵である。(笑)
秦郁彦は、現代史家として、おそらく当代随一。

日清、日露の戦争については、日本の自存のための戦争という性質がはっきりしているので、論点は比較的少ないといえる。
日清戦争は世間で思われているほど楽勝ではなかったというくらいであろうか。
日露については、野木無能論についての異論が目をひく。
肉弾突撃至上主義は、当時の欧州では主流的な考え方であった。乃木の作戦指導が、特に拙劣だったとはいえない。
秦郁彦は、むしろ別の点を指摘する。陸、海ともに勝ってしまったので、日本のような貧乏国が、陸海いずれにも主力を絞ることができず、両輪主義でいかざるを得なかったというのである。
「いっそ、どちらか負ければよかったのでは?」
たしかに、海軍だけが勝てば、以後は海軍主流になり、おそらく日米決戦は起こらなかったし、支那大陸進出も違う形になったであろうと思われる。
あるいは、太平洋戦争の決着は、もっと早い段階で済んだ可能性もある。
陸軍だけが勝てば、仮想敵国はソ連1国に決まり、南太平洋への進出はなかったかもしれない。

続いて、見落としてはいけないのは、第一次大戦である。
この結果、日本は大した戦争もせずに太平洋の島々を保護領化するのだが、欧州での苛烈な戦争を経験していなかったため、世界を覆う空気の変化を読み間違えるのである。
日本にとっては、遅れてきた帝国主義国であり、これから植民地を確保しようと考える。(それが世界だと思っている)
ところが、世界は(欧州は)戦争に懲りており、植民地競争はもうやめて、あとは過去の権益でぬくぬくと食べていこう、と考えはじめている。
この齟齬が、以降の日本の針路を大きく変えることになってしまったという指摘である。
戦後処理という意味では、日本の提案した人種差別撤廃条約の否決もふくめて、敗戦に等しかった、という指摘である。
この不満と読み違いが、やがて敗戦国ドイツの戦後処理に関する不満と結びつき、枢軸国結成に至ってしまう。

支那事変については、間の停戦期間を含めて「15年戦争」という呼称について異議を示している。私も異論のないところである。

大東亜戦争だが、大きな勘違いとして「一部の政治家が煽り立てて戦争に」という話がある。
実際は、朝日新聞を筆頭に、ブンヤも知識人も皆そろって「なぜやらんか」とやっていた。煽り立てていたのは大衆マスコミだったのである。
戦後、「日本は民主主義でなかったので、針路を間違えて戦争した」という奇妙奇天烈な反省がなされ、そのために戦争は「一部の間違った指導者の責任」になってしまった。
事実は、「いけいけどんどん」の国民の声が原因なのである。。。

終章は、湾岸戦争に割かれている。
湾岸戦争においては、日本は派兵しなかった。かわりに、巨額の戦費を負担した。
そうしたら、戦後のクウェートの示した感謝の広告には、日本の国名はなかったのである。
国際貢献ということと、一国平和主義との矛盾があらわになった瞬間だった。
おそらく、ここが起点になり、日本人の憲法論議自衛隊議論の変わった。
後世で見れば、おそらく、ここがターニングポイントだろう、という。


評価は☆☆。
ともかく、5人の論客がいずれも鋭いので、大変な刺激に満ちた対談である。

この難しいメンバーの対談を切り回しているのは猪瀬氏である。
素晴らしい力量である。
政治家としては、脇が甘く、転落することになったが、それはこの人のたぐいまれな文才にとっては、良いことではないかと思う。
政治家なぞという、つまらぬ職業についたのがいけない(笑)。
だから、天罰が当たったのである。

ぜひとも再起して、洛陽の紙価を高めるような作品を書いてほしいのだ。
自分の収賄など、ネタにするくらいの根性が欲しい。
いっそ、獄中作家になってしまえばどうか(無責任だなあ。。。)

でも、物書きとは、そういうものではないかなあ。