Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

江戸幕府 最後の改革

江戸幕府 最後の改革」高任 和夫。

お正月休みを利用して、ためていた本をなんとなく読む。
休みと言っても、休み前には仕事もあり、休み後にも仕事がある。気になることもある。
心配ばかりしていると、読書も捗りませんなあ。
のんびり本を読むのは、とても贅沢なことだと知った次第。

さて、本書は二人の人物、江戸時代で同時期に活躍した田沼意次大田南畝が交互に描かれる。
ともにもとは足軽の家格で、武士とはいえ軽輩であった。
田沼は、側用人からついには老中まで出世し、制度疲労に陥った幕政を立て直すべく努力を続ける。
とはいえ、当時に必要な付き合いやら礼儀のことも、もともと軽輩の身では成り立たない。
だから、意次は賄賂をとる。
賄賂をとるのは、己の身が肥るためではなく、それによって天下国家の仕事をするためだという自覚が意次にはある。
印旛沼干拓蝦夷地探索、貨幣改鋳政策。
しかしながら、意次の改革は、旧体制にある御三家、各大名家にとっては、目障りなものだった。
ついに意次は、松平定信、一橋治済の陰謀によって、失脚するのである。

一方の大田南畝も、やはり御徒の身で、当時の武士と同様、借財の山で身動きもつかぬ有様である。
もとは漢詩に志したが、いつしか狂歌で評判をとるようになっていく。
しかし、この時代の作家の地位は低い。
仲間内が出版記念をやってくれても、南畝の家では何人も集まることもできず、近所の同行の士の好意に甘えるしかない。
仲間の祝い事に出す祝儀もままならない。そんな自分を南畝はなげく。
しかし、そうかといって武士の身分を捨てるだけの決心も、南畝にはつかないのである。
吏隠として、あくまで真面目な小役人の勤務をしながら、一方で狂歌の第一人者としての地歩を固めていく。
ついにはスポンサー達の金で遊郭を飲み歩き、遊女を身請けするようなことまでやってしまう。
それというのも、時は田沼政治のおかげで、今でいうバブルであった。
重商政策をとる田沼のもとで、文化は繚乱の時期を迎えていたのである。

田沼失脚後、定信による寛政の改革が始まり、幕政批判をこめた狂歌は弾圧される。
南畝も上役の組頭からたしなめられ、筆を折ることになる。
その南畝と、失脚した意次は、一度だけ、田沼の屋敷で会見する。
意次が父親の自作という歌を披露し、下手であろうか、と南畝に聞く。
南畝は、上手下手は歌に関係ない、心ですと説く。心が伝わればよいのです、という。
それを聞いて安心した、と意次は笑顔を見せる。
それきり、この両者が顔を合わせることなく、このシーンで物語は終わる。

評価は☆☆。
今の時代にも通じる、じんと伝わる内容を持った物語であった。

今の世も、ぎすぎすとした息苦しさを感じずにはいられない時代であると思う。
バブルがはじけて、失われた20年という。日本経済は、ひたすら下降に向かっており、何度も「改革」が叫ばれたが、その都度、改革は失敗に終わっている。
唯一、小泉改革が少しの成果を上げたわけだが、それも、既得権益と秩序が好きな人にとっては、とんでもない悪行ということになるのだった。
今や、学生たちは大学を出ても、就職活動がうまくいかないと言って、自殺者すら出る世相である。
文字通り、一寸先は闇となった今の世で、人は意次か、南畝になるしかないのではないか。
改革者として、既存の権益に挑戦し、もちろん既得権益層の陰口を蒙って、やがては没落する。それを覚悟で、なお、挑むか。
そうでなければ、南畝のごとく、上役には恐れ入って、真面目な勤めをしながら、趣味の世界で慰めを得る。
いずれにしても、明るい太平楽の未来があった時代は終わった。

この本は、ホリエモンの獄中の読書録にも登場するそうである。
彼が何を思ったのか。
ちょっと、気になったりしている。