Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

スギハラサバイバル

「スギハラサバイバル」手島龍一。

著者の代表作で一世を風靡した「ウルトラダラー」の続編。
「スギハラサバイバル」とは、リトアニア外交官、杉原千畝のパスポートによって命を救われた6000人あまりのユダヤ人のことを指す。
彼らは、ナチスドイツの迫害から逃れて、遠く日本の神戸まで脱出。その後、上海の居留区を経由して米国に至る。
米国で、「国境を行き来する貨幣」に活路をかけ、有力議員を巻き込んで、米国の小麦をソ連に輸出するのと引き換えに、ソ連に居住するユダヤ人の米国移住を許可する、というウルトラC級の法案を通してしまうのである。
とはいえ法的に、国外脱出が認められたからと言って、ユダヤ人がただちに米国に移住できるわけではない。
共産主義の国では(ほかの国でもそうだが)官僚に金をばらまかなければことが進まない。つまり、ドルが必要である。
では、そのドルをどうやって調達するのか?
それが、国際金融市場である。
大暴落の前には、必ず、ユダヤ人のファンドが大量にS&P500を売りに出している。先物だから、暴落したところで決済すれば、とてつもない利益があがるのだ。
では、彼らは、どうしてそのような大暴落を事前に知ることができるのだろうか?
そこには、確固とした諜報が必要である。外交用語でいう「インテリジェンス」である。
そのインテリジェンスの源流をたどると、杉原千畝その人が、実はすぐれたインテリジェンス・オフィサーだったという事実に行きつく。
ロシア語に堪能な杉原を支えたいたのは、ポーランド軍諜報部であり、ソ連とドイツの獲物になってしまった彼らは地下に潜って、杉原に第一級のインテリジェンスを提供しつづける。
その見返りが、パスポートだった、というわけである。
杉原のパスポートは6000通あまりに上るが、これら大量のパスポートをすべて手書きできない。そこで杉原は、自分の筆跡をゴム印にすることを認めた。
ポーランドの印刷工が精巧なゴム印をつくり、漢字を見たことのない欧州の入管を欺いて、日本への出国を可能にした。
これらの人物のうち、ある者は神戸で日本人の少年と仲良くなり、その少年が上海に渡って水田機関と仲良くなる。
水田機関出身で、戦後の「大物」と呼ばれた相場師といえば、、、、なるほどねえ、である。

そして、あの911のときも、S&P500は大量に売られていた。
その天文学的な利益金は、いったいどこに流れたのか?これらの資金がアルカイダに流れているという噂は根強くあるのだが、ファンドはユダヤ人である。
想像をすれば、イスラエルアルカイダ支援資金を出している、という推測があるわけだが、その金は、アルカイダを通じて裏からシリアにたどり着く。
米国を動かし、自国の安全を確保するため、イスラエルの工作機関が動いているのではないか、という説が成り立つ。

戦中に話を戻すと、杉原は日本に帰国し、そのインテリジェンスはストックホルムの小野寺に引き継がれる。
小野寺は、第一級のインテリジェンスを送り続ける。ナチスドイツは、英国でなく、バルバロッサ作戦を発動し、ソ連を攻める、と。
しかし、大本営は駐独大使大島の「ドイツは英国に上陸作戦を行う」という情報を直前まで信用していた。
開戦後も、ポーランドレジスタンスによるインテリジェンスは、ストックホルムの小野寺に届けられる。
その最大の成果は、ヤルタ密約の緊急電となる。「ソ連は、ドイツ降伏後、3か月を期限として日本に攻め込む」という密約を本国に打電した。
しかし、この緊急電は、本国に無視されてしまう。
あろうことか、日本は、攻勢準備中のソ連に、戦争終結の仲介を依頼するのである。
大本営を含めて、日本外交の敗北を決定づけた瞬間であり、以後、日本は独自で外交する能力を喪失して現在に至る。


評価は☆。
なかなか、面白い。インテリジェンス小説であるが、戦中戦後の歩みを念頭に置いておくと、実に面白い。
ただし、純粋な小説として読む人には、少々退屈かもしれない。

大日本帝国の日清、日露戦と大東亜戦争を比較すると、特に諜報部門での能力の低下が著しいことに気付く。
本書にも、ドイツの「エニグマ」と並んで日本の外交機密電「マジック」がすべて解読されていたことが出てくる。
日露戦争当時、明石元二郎をスパイとして送り込み、革命運動を支援し、ロシアを内部から疲弊させ、また日本海海戦では「敵艦見ゆ」を打電した信濃丸に最新鋭の無線装置を積んでいる。
それくらい、諜報を重視していた。
それが、大東亜戦争では、諜報活動でまったく見るべき成果を上げられず、こちらの情報は常に筒抜けであった。電波技術も格段に劣り、有名な「八木アンテナ」を採用したのは米国で、御膝元の日本はまったく知らなかったという体たらくであった。
そんな基礎的なこともできないで、その一方で「八紘一宇」「大東亜共栄圏」と理想ばかりを口にしていた。
現実に目を向けず、理想論をぶって世界の有様を嘆くのは、書生論である。
日本は、日清戦争の「現実論」から、大東亜戦争での「書生論」に一気に転換してしまった。
その転換点は、いったいどこにあるのか?
世間一般には満州事変というが、実は、何の苦労もなかった第一次大戦が意外に利いたのではないか?という説を、私はかなり有力に感じる。

小成こそ大失敗のもとだと思うのでありますよ。