Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

鷲は舞い降りた

「鷲は舞い降りた」ジャック・ヒギンズ。

あまりに忙しい日々が続いてしまうと、無性に本が読みたくなる。「いけねえ」と思いつつも、ついつい、である。
受験勉強に勤しんだ高校時代と同じである。つまり、やらなきゃいかんことを横目に、読書に逃避するのだ(苦笑)。
このときの本の面白さよ!

で、そういうわけで、横目で眺めるつもりが、ついついのめりこんでしまう。
大学時代以来の再読、「鷲は舞い降りた」。
冒険小説の金字塔、これがダメなら、もう冒険小説なんて読まないほうがいい、というレベルの作品である。
名作の中でも「超絶」級なのだ。

舞台は第二次大戦中のナチスドイツ。ヒトラーは、例のムッソリーニ救出作戦に気をよくして、いつもの気まぐれで「今度はチャーチルをさらってこい」と言い出す。
側近どもは、いつもの病気なので、適当に報告書をでっちあげて「まじめに検討したふり」をしてすませるつもりだった。
ところが、英国の女性スパイ、グレイがもたらした情報が流れを変える。「チャーチルが、ノーフォークの寒村へお忍びで静養にやってくる」というのである。
ヒムラーが、ヒトラーの歓心をかうため、極秘裏に計画を進めるように指示する。その指示の仕方が、そうとうエグイのである。「家族がどうなってもいいのかね?私は、そういうことは嫌いなんだが」という感じで、おそらく、小説史上「嫌な奴ベストテン」があったら、余裕でベストスリーに入るはずである(苦笑)。
ドイツ情報局のラードル中佐は、ヒムラーの無理難題をすすめる人材を探し出す。それが落下傘部隊のシュタイナ中佐である。
シュタイナ中佐は、ユダヤ人迫害を行うゲシュタポをクソ呼ばわりしたので、懲罰部隊に追いやられていた。
ラードル中佐は、シュタイナと彼の子飼いの部下をまとめて、この極秘作戦の実行部隊に命ずる。
そして、綿密な計画のもと、ついにシュタイナ中佐は霧をついて英国に降下し、作戦を開始した。
そう、「鷲は舞い降りた」のである。。。

鉄の意志をもつシュタイナ中佐、IRA開放に命を捧げるデブリン、そして「私が英国人!?私はボーア人よ、バカにしないで!」と叫ぶ貴婦人、グレイ。
彼らの決死の覚悟によって、作戦はあわや成功というところまでいくのだが、ある人倫上の理由のために、計画は齟齬をきたし、ついには水泡に帰すのだ。
しかし、最後の瞬間まで、シュタイナはあきらめない。


評価は☆☆☆。
ま、この小説にまさる小説は、滅多にありませんわな。

現代人は、「刺激は強ければ強いほど良い」と考えているので、シュタイナ中佐が最後に「機械のように」命令を遂行すれば、拍手喝采を送るのかもしれない。
しかし、それは、平和な日々に囲まれて、情報過多に陥って想像力をなくした現代人の知的怠惰であろう、と思う。
なぜなら、この小説は、「人が人を殺すことが当然」であり、むしろ「たくさん殺せば勲章」をもらえた時代の話だからだ。
この小説のラストが暗示しているのは、単に刺激的なシーンがあれば良い、というものではない。
そういう勘違いの横行する作品が横溢する現在の読者は、不幸かもしれないね。

シュタイナ中佐の決断は、つまるところ、「人は、なんのために命をかけるか?」という問題なのである。
それは「任務」ではない。「憎悪」でもなく「復讐」でもない。
その決断があったから「逡巡」したのである。
単に「逡巡した」のではなくて「逡巡することを選んだ」のである。
もっと大きな使命感が、彼にその道を選ばせた。やるだけをやったシュタイナ中佐は、決して幸福とは言えないが、しかし、それ以上にできることはなかっただろう。
それが本書のラストで暗示されるのである。
とんでもない種明かしがあるわけだが(あまりにネタバレになるので書けないが)しかし、運命はそれしかなかった。


若いころは、こういう本を読むと「さて、自分の運命はどうであろうか?」と考えたものである。
今では、このような過酷な運命がなくて、良かったと思っている。
自分では、とても耐えきれまいと思うからである。
無名のただの偏屈な小説好きの奇妙なジジイ、それが私である。
願わくば、この先も、こそこそ本を読むくらいしか楽しみがない退屈な人生が続いてくれることを、せつに願うものでありますなあ。