Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

大名廃絶録

「大名廃絶録」南条範夫。

南条範夫の本は、だいたい面白いに決まっているのだが(偏見)、本書も面白かった。
本書は、徳川時代に廃絶、つまりは「お家おとりつぶし」の藩を集めたものだ。

元豊臣派、つまり加藤とか福島とか(生駒とかも)は、まあ、これはわかる。理由もなんとなく曖昧で、とにかくつぶされてしまうのである。
目障りだから。
古来、勝者の敗者に対する裁きとは、そんなものである。それを不正義だと指弾したところで、なんにもならない。「勝てばよかったじゃん」でしまいである(笑)。
そもそも、戦争とは、言論で勝負がつかないときに軍事で勝敗をつけるものであり、しごく簡単にいえば「勝ったほうを正義にする制度」である。勝てば官軍、という。
負けたけど正義、という言い訳は通らないのである。
だからこそ、勝てない戦争は、絶対にしてはならないのである。孫子はそれを「兵は国の大事である」と述べた。
古今東西の真理であろう。

実は意外に多いのが、徳川の親藩の取り潰しである。
駿河忠長、越前忠輝などである。
つまり「将軍の最大の敵は身内」なのである。
相手は、「将軍になり損ねた」男たちで、いつ、なんのきっかけで、また将軍の座を奪おうとするか、わからないのである。
だから、そういう相手はつぶされるのだ。
現代でも、そういうことはある。官僚の世界である。
同期の中で、一人が事務次官に就任すると、他の者は一斉に退職し、天下りをする。
まさに、徳川時代さながらの光景である。
事務次官は、実際上は省庁の「将軍」である。
大臣など、しばらくしたら交代するわけだし、選挙で落ちたらタダの人である。
選挙のない官僚にとっては、事務次官こそ、省庁を左右する将軍なのである。
そうすると「ぜったい、逆らいません」という恭順の意思を示す必要があるわけで、それが「一斉天下り」というわけだ。
時代錯誤ということだろうが、同期がいたらやりづらいという「将軍」の意思を忖度した制度なのだろうなあ。

評価は☆。
なかなか、興味深く読んだ。

しかし、こういう丁寧な仕事をする作家は、最近、いなくなりましたねえ。
インターネットで簡単になんでも調べられるから、手垢のついたエピソードを「ほぼコピペ」して、ちゃっちゃとやっつけておしまい。
そんなんじゃあ、そりゃ書籍だって、売れないよ。
歴史物だって、一次資料を丁寧にあたっている作家なんて、今やいないのではないか?(高橋直樹氏はやっているけど。だから、彼は遅筆なんだが)
やったからといって、売れるとは限らないわけだけど、そうした作品は、最後に持つ迫力が違うと思うのだが。

最近の出版界の凋落ぶりを見るにつけ、ま、書き手だけじゃなくて、読み手も、同じく問題があるんじゃないかな、などと思うのですなあ。
私なんぞは、他人様の書いたものを、ちょいと眺めさせてもらうばかりで、大したことは言えないんですがね。

それにしても、センテンススプリングは、やっぱりすごい、というオチで(笑)。