Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

天皇になろうとした将軍

天皇になろうとした将軍」井沢元彦

著者の「逆説の日本史シリーズ」は面白くて、ついつい読んでしまうのである。
氏の説を一口にいえば「日本人の歴史の背後には怨霊信仰がある」というものである。
ようは「恨みを呑んで死んだ人は、鎮魂しなければ怨霊になる。そのたたりを防ぐ鎮魂の方法としては、神として祀るしかない」ということになる。
ついでにいえば、ここ東京の湯島あたりには湯島天神神田明神の2大有名神社があるが、祭神は菅原道真公、平将門公である。
いうまでもなく大怨霊なのだから、お祀りしてあるわけだ。

本書は、日本史上で数少ない「天皇になろうとした」男、足利義満と、足利幕府の開祖、足利尊氏を井沢流の「逆説」によって描いたものである。
日本史ミステリーとでもいおうか。史実を集めてきて、作家的な推理を展開している。

本書は、まず「太平記」が、なんで「太平」などという名前がついているのか?という疑問から始まる。
この有名な物語は、言うまでもなく南北朝の騒乱を描いており、後半は、史実とは何の関係もないすさまじい怨霊物語が展開される。
言うまでもないが、どこにも「太平」な要素などないわけである。
ではなぜ、「太平記」という名前がついたのか?
井沢説を一口にいえば、それは太平記の著者が後醍醐天皇を批判した皮肉だから、ということになる。
そもそも、後醍醐天皇がすっちゃかめっちゃかな政治をしたので、日本は大混乱に陥ってしまったのである。それなのに、あなたはなんて太平楽な!という批判が「太平記」というタイトルなのだ、という。
太平楽すなわち「好き放題にやって反省なし」な人物だ、ということで、正直にいって後醍醐帝はそう言われても仕方のないレベルの人であったらしい。
さらに推理は大胆に進み、足利義満は三殺されたのであり、その下手人は世阿弥だろう、という。
裏で義満暗殺の糸を引いていたのは朝廷であり、そうすると義満は怨霊になる。
鎮魂しなければならないので、恨みかさなる義満に、朝廷はわざわざ「太上天皇」を諡号として与えた、というのである。

後半は足利尊氏の話になる。
後醍醐帝という困った人がとにもかくにも鎌倉幕府の倒幕に成功したのは、足利、新田が協力し、楠木という天才的軍略家がいたからである。
ところが、この足利と新田は仲が悪い。両家の始祖が兄弟で、本来なら本家を継ぐはずの長男が新田、次男が足利。ところが、父親が次男を偏愛して、次男に後をとらせてしまう。
それで本家が足利、分家が新田になった。これでは新田が面白くないので、以降、両家の確執がはじまるわけである。
足利が後醍醐を攻めたときも、新田が後醍醐側についたのは、とくに新田が勤王精神に富んでいたわけでなく「足利の下風には立たぬ」という意地であった。
本当に勤王家だったのは楠木で、その楠木は一度、足利を撃破すると、九州に敗走する足利と和睦するように後醍醐にすすめている。
このまま遠からず足利が復活して、今度は勝てない、と楠木は読んでいたわけである。
残念ながら、この進言は、いつものように太平楽な後醍醐にはまったく理解されなかった。


「逆説の日本史」シリーズを読んでいる人であれば、なじみ深い井沢節である(笑)。
逆説シリーズのきっかけになった著作だそうだ。
納得の☆である。

私は、この人の怨霊説を高く買っている。
日本人は宗教に疎く、「自分は無宗教だ」と思っている人が多いのであるが、実は宗教的感情は本人が意図しないところで現れる。
欧米人に「私は無宗教だ」というと驚かれると同時に引かれるが、それは「無宗教=善悪の区別がない」と思われるからだ。
多くの日本人が「約束は守る、むやみに殺生はいけない、時間に几帳面、掃除をして身の回りをきれいにする」などをしているが、これは立派な仏の影響である。
外国では、掃除は「身分の低い人間のすること」として、自分ではしないという文化だってあるのだ。それも宗教である。
だから、私は「無宗教」という人をよく茶化して「無宗教という宗教を信仰しているのですね」という。
少しは自覚しろ、という皮肉なのである。

キリスト教が世界中に植民地をつくったのも、同じである。
キリスト教では、人はみな「原罪」を背負っているが、キリスト教徒だけは「イエスが身代わりに」なってくれたので、許されている。
逆に言えば、キリスト教徒以外は、すべて「罪人」である。(人間でない、とまでは言わないが)
罪人に対する特権意識があるので、上から目線になって、原住民を使役するのも「俺に使われてありがたいと思え」になる。
実際、欧米人は植民地を「文明を与えてやっている、慈悲深い行為」だと思っていたのである。
その「文明」とか「慈悲」は、つまりキリスト教のことである。

アメリカで、黒人奴隷開放の大きな力になったのは小説「アンクル・トムの小屋」(ストウ夫人)であった。
私が、子供の頃に読んで、はじめて泣いた小説である。
この書のテーマが「黒人がキリスト教を信仰したらどうなのか?」にあることに気づいたのは、ずいぶん後年になってのことだった。
欧米人の優越は「キリスト教徒」だという信仰から来ている。その信仰は、日本人と同じく、彼らの意識しないところに、深く根付いている。
ところが、まさにイエスのように信仰をもって受難に耐える黒人がいたら、よほどキリスト教徒として立派ではないか?
そうしたときに、欧米人は従来のように「キリスト教徒だからは白人は偉い」ではすまないだろう、ということである。
そして、そのように南北戦争が起きたのである。

閑話休題
まあ、そういうわけで、日本人の「怨霊信仰」も、ずいぶん深く根付いたものではないか、と思うのである。
そう思えば、靖国神社もそうではないか、と思うのである。
国のためとはいえ、尊い命を散らしたのである。恨みもあって、当然ではないか。いくら綺麗事をいったって、若い命を失って、心残りも多かったと思うのである。
放っておけば、祟ると思わねばならない。だから鎮魂した、ということもあるのではないか。祀り、称えることで怨霊を鎮めるのである。
そう思えば、やはり日本の「伝統」に則っている、と思うのである。

問題は、こういう信仰が政教分離規定に抵触するかどうか、だろう。
個人の信仰として怨霊信仰があるのは良いが、国家はダメだ、というのが現行憲法の規定と解釈できる。
ただ、そういう信仰は、「国家」でも「個人」でもなく、「民族」だと思うのである。
たとえば、外国人で日本に帰化した人には、いくら怨霊信仰の説明をしても、日本人が思うほどには理解しないだろうと思う。
民族のバックボーンに、深く根付いた「ものの見方」そのものが、実は「宗教」の正体ではないか、と思うのだ。