Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

謎解き 関ヶ原合戦

「謎解き 関ヶ原合戦」桐野作人。

著者は歴史作家だが、ことに関ヶ原合戦に関する著作が多い。いわば「関ヶ原専門家」である。
関ヶ原小説といえば、なんといっても司馬遼太郎ということになっているのだが、そうすると疑問がいくつも湧く。
つまり
・本当に石田の直江の間に密約があったのか
・島津が合戦に参加しなかったのは何故か
・秀忠が徳川主力、家康の兵力は大した物ではなかったというのは本当か
・宇喜多はどうして圧倒的な兵力を持ちながら福島隊を撃破できなかったのか
・なぜ上杉は徳川の背後を突かなかったのか

これらの疑問点を著者が20にまとめ上げ、それぞれに独自の考察を加えた書である。
いわゆる「司馬史観」からすれば、ずいぶんユニークな論考が多いのだが、著者の考証は相当緻密で、大いに説得力があると思う。

まず、大前提として、当時の通信能力を考える必要がある。
電話やメールで瞬時に連絡が取れる今日とは違うわけである。
使者が馬で飛ばして江戸から京まで三日、返事が三日、都合最短で六日がかかる。
しかも、その間の戦況はさっぱりわからない。
挟撃策など、机上では成立する作戦も、実際にはうまくいかないわけだろう。

評価は☆。
関ヶ原に関して、一般的な知識があれば、興味深く読むことが出来ると思う。

著者は関ヶ原合戦を「世紀の凡戦」だったのではないか、と論じている。
東西合わせて20万に及ぶ大会戦が、わずか半日で終わっているのだから、それはムリもない指摘だと思う。
直江も真田も黒田如水も、おそらく関ヶ原は一ヶ月以上の対戦になるだろうと考えていたはずである。
本書にも指摘があるとおり、そもそも西軍は徳川内府に味方するつもりで上京しようとしたところを石田に通せんぼされて、ただの成り行きで西軍になったに過ぎないのである。
戦意に欠けて当たり前である。
むしろ、そんな手品まがいのやり方で、天下分け目の戦場を作り出した石田、大谷の才幹こそ褒めるべきだろうと思う。
普通の人間なら、そもそも、戦いにすら出来ないところなのだ。

私の西軍の必勝策は、以前にも述べたが、「毛利輝元の大阪籠城」である。
瀬戸内海を握っている毛利、宇喜多が手を組んで、大阪に籠城したら、家康がこれを落とすことは不可能である。
この策をとった途端に、関ヶ原合戦は「天下分け目」ではなくて「大阪城の戦いの前哨戦」に過ぎなくなる。
しかし、徳川内府が十万の兵を集めても大阪城を落とすことは出来ないはずである。
後年の大阪冬の陣で明らかだが、それよりもまずい。毛利の無限の兵站があるのだ。
手間取っているうちに、伊達や上杉、佐竹が動き出す。
まあ、そうなれば戦国の世に逆戻りなわけですが、、、
そう考えると、関ヶ原の結果、平和な日本になったわけで、良かったというべきなんでしょうなあ。。。