「雷撃震度十九・五」池上司。
この人の本は「8月15日の開戦」を読んで、ずいぶんと感銘を受けたのを覚えている。占守島の戦いに材をとった作品だった。
著者いわく「半分史実、半分創作」だそうで、米側の人名はすべて実名、日本側の人名は仮名となっている。
おかげで「潜水艦対水上艦艇」の戦いを緊張感をもって描写することに成功している。このあたり、著者はなかなか上手である。
物語は支那のアモイから日本へ向かう輸送船団の苦闘からはじまる。指揮するのは永井少将だが、この人は本来予備役である。
アモイから日本の九州までの近距離航海だが、この時期の日本はすでに制空権も制海権もなく、出航早々に米潜水艦ついで空襲で輸送船団は壊滅。
そこに、たまたま通りかかった潜水艦伊58によって、永井少将が海面を漂流しているところを助けられる、ということになっている。
この永井少将が、まだ経験の浅い倉本艦長を助けながら、重要な場面では指揮をとり(階級が永井少将のほうが上であり、かつ伊58は一隻で艦隊なので将官の艦隊指揮となり提督と呼ばれる)米海軍に挑むことになるのである。
さて、インディアナポリスはもともと米第五艦隊の旗艦を努めていたのであるが、破損して修理、ふたたび戦列に復帰して後、おかしな命令を受け取る。
実は、マックベイの父も海軍士官で、若き時代のキング提督をさんざん絞ったのである。
キング提督にすれば、オヤジにこってり絞られた意趣返しを息子にしてやれ、というつもりだったわけだ。
繰り返される爆雷攻撃に対し、限界深度を超えて圧壊の恐怖に耐えながらなお攻撃を諦めず、海底に潜む伊58。
音を消すためにすべての空調を切り、トイレの圧搾空気も利用できないため船内には異臭が漂い、酸素はだんだん減っていく。
ギリギリまでガマンし続けて、ようやく浮上し、再攻撃を意図する伊58。
好目標にはやる人間魚雷「回天」の特攻隊員たちは「行かせて欲しい」と頼む。それを却下する永井提督。
外洋の波では回天の潜望鏡3メートルでは視界が得られず、攻撃成果は得られないとして、通常の魚雷による攻撃を選ぶ。
マックベイ艦長と永井提督の相手の裏をかき合う壮絶な操船合戦が繰り広げられる。
そして、耐えに耐えた伊58はついに必殺の酸素魚雷を4連射した。。。
やっぱり上手い小説だなあ、と思う。
私は映画の「Uboat」を思い出した。第二次大戦当時の潜水艦の戦いは、実に忍耐の連続である。
何よりも海中で爆雷に押しつぶされる恐怖は、想像するにあまりある。
さらに、損害を受けて浮上できなくなった艦も多い。当然、乗組員は全滅である。水上艦艇とは違って、運良く助かることは有り得ない。
過酷そのものである。
その戦いの描写がリアルである。
評価は☆☆。
なお、実際の伊58も、自分達が撃沈したのが原爆を運んだあとのインディアナポリスだとは知らなかった。(当時は戦艦を撃沈したと思いこんでいた)
戦後、あの原子爆弾を運んだ船だったことを知った橋本行以艦長は「もっと早く撃沈すれば、原爆投下を阻止できたのに」と悔しがったそうである。
インディアナポリス撃沈の功を誇ることよりも、あの爆弾を防げなかったことのほうを嘆いた。そういう人柄の方だったようである。
日本海軍は結果からすれば、米海軍にボコボコに負けたのであるが、それでも、場面場面では大いに頑張ったのである。
ただ、海戦は陸戦と違って、とにかく科学力と物量がものを言う。いかに勇敢な兵でも、海戦で日本刀での斬り込みは成立しないのである。
戦後の日本人は、この戦訓があったので、科学信仰、物量信仰になったと思う。
米国に大差を付けられていた電子機器や石油精製、精密加工などの分野を逆転して力を発揮した。
そういう意味では、戦後日本は、大東亜戦争の教訓のもとに花開いたといえるのかもしれない。
昨今の日本の停滞は、まだ我々がバブル崩壊の「第二の敗戦」から明白な戦訓を引き出せていないことによるのであろうと思う。