Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

プリズンの満月

「プリズンの満月」吉村昭

吉村昭といえば「戦艦武蔵」や「零式戦闘機」などが名作である。
資料にもとづき、淡々とした筆致で戦争の側面をえぐる迫力があると思う。
「零式戦闘機」の、完成機を各務原工場から運び出すのが「牛車」だった、という描写には驚かされた。
当時の三菱の戦闘機工場には滑走路がついておらず、飛行場まで運ぶのに、道路事情が悪いのでトラックが使えない。
トラックで運ぶと、道路のガタガタで零戦が一発でだめになってしまうのである。
そこで、平安時代さながらに牛車で運んだ。
あまりにひどいというので、戦争中には馬車になった。牛車が馬車になって、効率が上がったというのだから、推して知るべし。
これで米軍と戦ったのだと思えば、ただただ呆然とするばかりである。

さて、本作は熊本刑務所の刑務官がGHQに選抜されて巣鴨プリズンに異動となり、そこで戦犯を看守を務めるという特異な体験をした主人公を通じて、この異質な戦犯収容所という歴史の一断面を描いている。
日本人が日本人を見張る、というのは戦争犯罪人に対する処置としても、世界史上極めて異質なものである。
戦犯は連合国にとっては犯罪人であるが、日本人にとっても同様だとは言えないであろう。
インドのパール判事のごとく「原爆を落とした者を裁かない裁判は本質的に無効である」という批判も出てくるわけである。
「人類にとっての犯罪」であれば、どうして原爆投下の罪は裁かれないのか?
つまりは、戦争犯罪人というのは「連合国にとっての犯罪人」であるからだ。
たとえば、パラシュート降下した米国搭乗員を斬殺した日本人将校が戦時国際法違反の罪で死罪になる、といえば、なるほどと思われるであろう。
しかし、その爆撃機搭乗員が民家の上に爆弾をバラまき、多くの民間人を殺していたとすれば、それでも罪なのか?という疑問が出てくるのは仕方がない。
つまり、連合国にとってかの日本人将校は残虐行為をした罪で絞首刑にせねばならぬが、日本人から見れば、単にその行為の応報を為しただけである。
なお参考に、国際法には「相互性の原則」があって、一方が国際法違反を犯したとき、もう一方も国際法を守る必要はないというのが一般的解釈である。
たとえばゲリラは戦時国際法違反であるから(正規軍によって軍服、軍旗によって所属国を明らかにする義務がある)戦時捕虜としての待遇は受けられない。処刑されても文句は言えない。これはスパイも同様である。

しかし、戦勝国が敗戦国を裁く場合、そんな原則を主張したところで、通訳のマイクが切られて裁判長が判決を怒鳴るだけの話になる。
有り体に言えば、ただの復讐劇にしか見えない。

で、当時の日本人も、やはりそう思っていた。
それゆえ、講和条約が成立し、巣鴨プリズンの管理が日本人に委ねられると、およそ刑務所とは思えないような有様になっていく。
最初は「家族の危篤」ということにして、5日間の外出許可をした。
すると、皆の家族が危篤になった(苦笑)。
そのうち、家族にカネをおくるための内職が認められ、内職では足りないというので、就職する者まで現れた。
プリズンから職場まで通勤するのである。夜7時には帰らねばならないが、帰路に一杯引っ掛けてくるものまで現れた。
ついには皆で野球観戦である。
さすがに米国から問い合わせが来たが「素行良好な場合は集団散歩を認めることになっている。野球観戦は散歩の一環である」と所長が回答。
これで米国は引っ込んでしまう。
東西冷戦のさなかである。日本側を無用に刺激することは良くない、という判断が働いたのである。

やがて、連合国側も次々と戦犯を恩赦、特赦していく。ついに、巣鴨プリズンは解散することになるのである。

ただ、主人公の鶴岡には、この特殊な体験が尾を引く。通常の犯罪者ではなく、戦犯という同胞を、銃を下げて見張ったという思い出である。
久しぶりの同窓会が催されても、鶴岡は行けなかった。心に影が残っていたのである。


評価は☆☆。
綿密な取材に基づき、淡々とした描写である。
しかし、最後の同窓会に出席できない(出席するつもりだったが、当日に思い直す)場面にいたり、ハッと思う。
人に影響を与える出来事とは、およそ、こういうものであろうと思う。
何か劇的な出来事があって、というわけではない。
ただ、違和感を感じる月日が流れて、やがて後になって「ああ」と気がつくのである。
人間とは、そういうものであろう、と思うのですなあ。

こういう感覚は、若いうちは、なかなかわからない。
自分の人生を左右するのは、たとえばナントカ大会で優勝したとか、あるいはそこで熱戦のすえ破れたとか、まあ、程度は違えど「イベント」だと思っている。
しかし、実際はそうでない。少なくとも、私はそうでなかった。
石の上にも三年と我慢した職業とか、カネがなくて帰省も出来ず過ごした年末とか、そんなことを良く覚えている。
そんな風景が妙に記憶に残るし、今の自分に影響を及ぼしていると思う。

月並みですが、やっぱり一日一日の積み重ねがすべて、なんですなあ。
今更、ではありますがねえ(苦笑)