Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

自転車を放置しないで。

JR可部線の線路上に自転車を放置した奴は、大きな間違いを2つ犯した。
1つは、いわずもがな、多くの人命を危険に晒して「騒がれたい」という、どうしようもなく自己中心的な行為である。
そして、もう1つは、自転車を粗末にしたことだ。

私が子供の頃、傘と自転車は高いものだった。だから、とても大事にしたものだ。
今は、100円ショップでも傘が買える。自転車は、スーパーで1万円以下になった。
お金を拝む日本人は、やすくなったので、傘も自転車も馬鹿にするようになった。
100円の傘は、盗んでも平気だ。ママチャリだから、盗んでも平気だ。
盗難自転車は駅前で、探されることもなく「放置自転車」として錆び、朽ちていく。
朽ちていったものは、人の心である。
最近の子供で、盗みを悪いと思わない子が20%を超えたそうだ。それはみな、大人が見せた態度である。子供は、親の鏡である。

自転車を、自分で組んでごらん。ホイールを組む、真円に組むのに、どれだけスポークを調整するか、やってごらん。BBとは言わないが、ペダルをつけて、泥よけをつけて、かごがいるならキャリアをつけて、チェーンを切ってつないで、ブレーキを調整して。その自転車、気軽に捨てられるかい?

パンクしたら、修理すらしないで「壊れた」といって放置。カネさえ払えば、すぐに手に入る。お気軽な自転車。便利な世の中。「チャリ」といって、交通の除け者。
最後は、大きな置き石にされてしまったよ。

初めて自転車に乗れた日のことを覚えているだろうか。私は、一生で、いちばん嬉しかった思い出である。
父が自宅の隣の野原で、一生懸命押してくれた。あのとき、私は幼く、父はまだ若かった。転んで泣いた私は、気がつくと、乗れていたのだ。父は笑っていた。

父は年老い、私は相変わらず気ままな暮らしをしている。私が生活していくのに、もう困ることはない。
だけど、私は自分の手で自転車を修理し、磨き、乗ることをやめない。
ふと気がつくと、毎日のなかで、歳をとり、自堕落になり、カネを持ち、えらそうになり、わかったような能書きをたれ、酒をくらい、ゆっくりと、ダメになっていくものがある。

私の自転車は、それと戦ってくれる、大事な友達だ。放置なんぞ、できるわけがないじゃないか。