Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

少子化と対立する利害について

大東亜戦争開戦時の連合艦隊司令長官山本五十六は、父親が56才のときに生まれたので「五十六」と名付けられたそうだ。
単純に考えて、今と同じ6334制度だとすると、大学卒業時に父親は78才ということになる。
ううむ。。。偉大というほかないな(^_^;)

現代で、子供をつくって、一応大学まで出そうと考えると。
仮に、定年60才として考えると、逆算して大学卒業時に「ひとなみ」に一浪したと仮定して(笑)37才がリミットである。つまり、以降の子供は、基本的に貯蓄を取り崩して学資を補給してやる必要が出てくるだろう。厳しいことだ。
まあ、このまま高齢化社会が進むと、どう考えても60才定年制度の維持は難しいだろうと思われる。
よって、65才定年にした場合、42才。なんだ、もうリミットじゃんか(笑)私はぼちぼちゲームオーバー、というわけである(泣)
(もっとも、株価が好調ならば、金銭面ではまだ延長戦が効くかもしれないけど)
基本的に、子供をつくるなら、若いうちが有利なんである。

実は、この問題を考えていくと、少子化問題が高齢者問題とリンクすることに気付くのだ。
つまり。
もしも65才に定年を延長するならば、企業はそれだけ新規採用の抑制に走ることになる。
「自然減」が減るわけだから、今までどおり採用していると、人が余ってしまうのは理の当然である。
従って、そのぶん、新規採用を絞るわけである。

で、余った労働力は若年労働者が多くなる。かれらは、仕方ないからアルバイト、派遣などで当面の糊口をしのがなければならなくなる。フリーターが、ただの「自分探し」だけだと思ってはならない。現実に、それだけの採用余力が企業になければ、必然的に起こる現象である。
現実に、我が国では、就職できない人たちは圧倒的に若年層が多くなってきているのだ。
フリーター、派遣社員の多くが低賃金で、とても家庭を持つのは大変なのは言うまでもない。

ところで、企業にとっては、若年労働者と、高年労働者とどっちが有利か?言うまでもなく、若年労働者なのである。多くの企業の給与体系は、評価主義といいながらも年齢給を基礎部分にもつから、若い人のほうが賃金が安い。もちろん、若ければ体力もある。学習能力もあるし、熟練してからも長く働いてもらえる。
しかし、だからといって、現在雇っている中高年労働者を簡単に解雇はできないのである。
労働者の権利をあまり粗末にすると、当然、基準局その他から指導も入るし、各種の公的資金も使えなくなる。(会社都合での退職者があると、2年間ダメになることが多いのだ)もちろん、組合だって、黙ってはいないはずだろう。

「若年労働者の中で、ニート、フリーターの比率が高くて、とても結婚して子供がもてない。それは政治がいけない」と主張する人たちが、一方で「労働者の権利」を主張してきた人であるのは理解に苦しむことである。
既存労働者の権利を尊重するならば、新規採用をその分抑制しなければならないのは、どう考えても当然である。
矛盾解決の方法は、基本的には「高度経済成長」になるんだが、現在、すでにそれは望めないことだ。

実は、このような議論は既にドイツでは先に起こっていて、若年層が「おれたちに仕事をよこせ」といって労働組合と対立している。労働組合は、既存の労働者の権利を守る組織であるから、未だ労働者になれない若者との利害が対立するのである。で、ワークシェアリングが考え出されたわけだ。
国の未来のために、労働者に忍耐を強いるのである。労組が、である!
もちろん、必然的に低賃金労働者が増えることにつながるから、批判もある。
だけど、さらに有効な解決策がない以上、やむを得ない措置ではある。

ところで。
元々車道の左側を走る軽車両=自転車を「クルマの邪魔」といって閉め出して当たり前と考えるこの国の国民には、ワークシェアリングは無理だろう。強者の権利は、他者を排除して恥じぬ。
道路も分け合えないのに、仕事と賃金が分け合えるはずもあるまい。

実は、このような対立の目は他にもたくさんあるのだ。
地方と都市。輸出と輸入。消費と供給。自由と保護。

現在では、この変化をとらえられなければ、まず、政策を語る資格はないのである。
ただの「昔の名前で出ています」になっちゃうのだ。

「保守」と「革新」って、どっちがどっちやら。ホントにワケがわからない世の中になってきたってことなんである。