Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

夜の親日。

今から5年前になる。
商用で、ソウルに行った。見本市出展のためであった。

開場2日前から入って、いろいろ準備をしていた。
通訳の女性を2人雇った。
彼女たちは、美しい上に非常に優秀で、我々のビジネスがうまくいくように、単に通訳の仕事を超えて、会場ではセールスまでしてくれた。こちらが口を挟むまでもなく、自分で売り込んでくれているのだ。有り難いといったらなかったなぁ。

さて、夜になってから、彼女たちの事務所(通訳の事務所)を通して連絡があり、日本の新しい会社が来ているなら歓待したいと言う会社があると。何の縁かわからないが、さっそく野次馬であるから出かけた。
その会社は、社員30人ほどの電子部品の設計をする会社であった。
社長さんが出てきて、流ちょうな日本語で「すみません。いま片づけますから。」とおっしゃる。

連れて行かれた店で、食事をご馳走になった。
我々の会社は、別に電子部品の設計を発注するようなメーカーではない。取引を求めて、のようではない。なのに、やたら親切で、酒食をふるまってくれる。
不審に思っていたら、その社長は話し始めた。
・ときどき、日本から来た若い人をこうして歓迎することにしている
・それは、韓国人がみんな日本人を嫌っていると思われているからである。そういう韓国人ばかりではないと知ってほしいからである。
・自分は、日本のRという会社に就職して技術を得た。Rの設計部において、差別なく、日本人と同じ教育があった。おかげで、その技術で独立して社長になることもできた。

そして、こう言う。
「日本の戦争中に、特攻隊というのがあったことを知っていますか?」
「はい、知っています」
と答えると、その社長は涙を流してこう言った。
「国のために命を捧げる。とてもできることではない。しかし、日本人はそれをしました。私は、尊敬している。いろいろ、日本を悪く言う韓国人が多いでしょう。でも、私は、日本人の特攻隊を知っているのです。日本人は、国のために命をかけて戦いました。立派なことです」
そして、なんと「一緒に歌いましょう」といって「同期の桜」を歌い始めた!
私たちはすっかり驚き「なんで、韓国人にも右翼がいるのか?!」と思ったものである。
すると、その社長はこう説明してくれた。
「韓国には、昼の反日、夜の親日という言葉があります。昼は、反日のような顔をしていないといけないのです。しかし、夜になると、こっそり親日になる人も多い。私もそうです。そういう人たちは、韓国の教育を困ったものだと思っている。だから、子供はなるべく外国に留学させるのです」
私たちは、深くうなづいたものだった。

帰国後、調べてみたところ、靖国神社にお祀りされている特攻隊員の中に、志願兵だった朝鮮の方が11人いらっしゃることがわかった。
韓国からは、朝鮮人兵士のお祀りをやめるようにという要請があるようだが、靖国神社は応じていない。なぜなら、今の韓国では、戦時中への「対日協力者」は、犯罪者の扱いを受けるからである。

私は、韓国政府のやり方には同意できぬ。自らの失政も、苦難の歴史も、すべて反日という言葉で塗り込めて、ウソの歴史を教えるのは一種の思想統制である。
民主国家として、許されることではない。

しかしながら、個々の韓国人が嫌いかといえば、それは別である。
韓国人にも親切な人も、立派な人も、優秀な人も、隠れ親日派(笑)もいるのだ。十把一絡げの議論はできないだろう。在日韓国人も同様であって、特に私は朝鮮総連の我が国に対する犯罪行為を厳しく追及するし、在日朝鮮人に対するプロパガンダはひどいと思っている。
しかし、在日朝鮮人個々人に関して、特に差別をしようと思っていないし、彼らが日本の国が良い国だから日本に住み続けたいと思うのは当然で、それを批判する気持ちは毛頭ない。(参政権は別である。日本の政治は日本人が決めるのが当然だ)
事実、私の友人にも在日はいる。非常に優秀かつ義理堅い男だ。彼を差別するなど、考えられぬ。
彼は、私のことを「健全な右翼」だと言う。「右翼だけど健全だから大丈夫」なのだそうだ(笑)

同じ事は、実は中国人にも言える。
私の経験では、中国人の友人は、最上級の友人になり得る。
しかし、今の中国政府は困るのだ。

もちろん、個々の国は、それぞれの国家の国益を狙って動いているので、個人レベルの友愛とはことが違う。
それは、当然のことなのである。

ただ。
今の状況では、韓国人の親日派は、いつまでも「夜の親日」でなければならないだろうし、今のような教育が続けば、それすらも危うくなるだろう。
それが、本当に日韓両国にとって良いことかどうか。

ヨン様に熱狂するオバサマ達を見ながら、私は、ついつい考えてしまうのだ。