Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

曾祖母のこと

私の曾祖母は、私が9歳のときに亡くなった。
母の実家だった。(私の実家は母方の姓を名乗っている)

曾祖母は、いつも農協の肥料袋を廃品利用してカバンを編んだり、藁でわらじを編んだりしていた。とにかく、手を休めず働いていた。
曾祖母の隣で、私は字を覚えたのが嬉しくて「一休さん」の絵本を音読したりした。
曾祖母は「この子は、本を読んでくれる。やさしい子じゃ」
と言っていた。曾祖母は、文盲であった。私はそれを全く知らなかった。

曾祖母は、不思議な能力があるという村の定評であった。
村人は、何か紛失したものがあると、曾祖母のところに相談にくる。
曾祖母は、編み物をしながら村人の話を聞く。そして「それは、たぶん東の方向にある。もう一度探してみなさい」等という。すると、なぜか見つかってしまうのだ。
推理していたのか、勘が鋭かったのか、いまだによく分からない。

肉親の葬式は、曾祖母が初めてだった。
「死」がよくわからなかった私は、忙しそうに立ち働く大人の中でおとなしく座っていた。
近所のおばちゃんが「大ばあちゃんは死んじゃったんだよ。もう会えないね」と言った。
そのとき、初めて「死」を理解した。
急に悲しくなり、押し入れの中に入って布団に顔をうずめた。
母が、押し入れを開けたとき、私を発見した。
「大ばあちゃんが亡くなって悲しいの?」
私は、答えられなかったが、泣くまいとした。
「泣いてもいいよ」
母はそう言って私を抱きしめた。私は、大声をあげて泣いた。周囲の大人達も皆泣いた。

自分が大学を卒業した後で、初めて曾祖母の死因を知った。
曾祖母は、自ら食を断って死んだ。
なぜ曾祖母が、食を断ったのか、正確なところは未だに分からない。
晩年まで、非常にしっかりした人で、全くボケもなかった。
たぶん、自分なりのきちんとした判断があったに違いない。

なぜか、最近、曾祖母のことを思い出すのである。記憶の中の曾祖母は、ひどく鮮明な姿をしている。