Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ロンドンの負けない日々

「ロンドンの負けない日々」高尾慶子。

この人のエッセイは、初期の頃はずいぶん面白かったのだけど、最近は品質の低下が著しい。
はっきり言えば、耄碌したんである。
すでに英国で市民権を取り、老後の不安もなく生きていけるようになって、ハウスキーパーの仕事もしなくなって、やっぱり惚けるものなんじゃないかなぁ。

終戦。日本人はアッという間に米国文化に魅せられて、東京ブギウギを歌って浮かれて暮らした、無反省な民族であるなどと書いてある。
もちろん、客観的にみれば、当然そうなのだが。
しかし、それはGHQの徹底的な言論統制を抜きにして、考えることはできないだろうと思う。
江藤淳氏が、絶筆するまで訴えた精神の改造である。
大日本帝国の検閲は「首相の政策は○○○○である。こんな○○いことでは、、、」みたいな「伏せ字」もしくは「発禁」であった。つまり、発禁にならなけりゃ、そのスジの人が読むと意味がとれるようになっていたのだ。まがりなりに旧憲法だって言論の自由は狭いながら存在したのである。
ところが、GHQの検閲は「全面書き直し」を要求するものであった。
文章の趣旨がいかんから、趣旨全文を書き改めよ、と命じるのである。
アメリカさん有り難う、旧軍人の馬鹿たれ、という文章が巷間にあふれ、全面的に米国文化を受け入れたように見える背景には、史上希に見る徹底的な検閲があった。

著者は、このような英米の支配手法を「上手だったから文句を言われない」と書いている。
真実である。
日本は、植民地支配のテクニックにおいて、下手くそであった。
しかし、このようなことは、名著「アーロン収容所」(会田雄次)に尽くされている。ここまで、無批判に英国礼賛をされても困る。
まあ、著者は英国文化礼賛で、英国に終身住むつもりだから、このように主張するのは当然なのだろうが。
それにしても、英国が行った植民地支配は「上手」だから礼賛。日本は「下手くそ」だから謝れ。
恥も外聞もないですなぁ。
ま、たしかに分かりやすくて良いと思うが(苦笑)分かり易すぎて困るのだ。
あまり無批判なんで、耄碌したんじゃないかと疑うのである。

評価は無し。
昔はユーモアたっぷり、鋭い批判精神が旺盛な人だった。惜しい。