Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

メダカについて---自然保護と経済論理

有名な話だが、環境省レッドデータブックには、クロメダカが記載されている。
多くの方と同様、私も疑った。まさか、クロメダカが?!と思ったのであった。

メダカは、クロメダカとヒメダカに分類される。
縁日で売っているメダカは、人間が観賞用につくった種で、ヒメダカである。
これに対して、小川や池の野生の在来種がクロメダカである。
私が子供の頃は、あちこちの田んぼや用水路の中でも、普通に群れを作って泳いでいた。
タモですくって遊んだこともあったが、子供はすぐに大きな魚の方に興味が移ってしまうものである。
鮒や鯉、ハヤを捕まえるほうに夢中になってしまい、だいたいメダカは小さな子供の相手専用であった。
運の悪いメダカは、人間の子供に捕まってしまうのだ。
しかし、大量にメダカをもってかえる子供もいないし、小川に遊びに行くと、水面を群れをなして泳ぐメダカはいつだって観ることができた。

そのメダカが、絶滅の危機に瀕しているのだという。
農薬の使用、生活排水、用水路の護岸工事。そして、ブラックバスブルーギルをはじめとする外来魚の密放流による食害。

今年の環境省では、特定外来生物の指定に「ブラックバス」を指定するか否かで、議論が起きた。これに対して、ブラックバスの釣り団体や用具販売業者が主体となり、バス釣り人を含めて猛反発が巻き起こった。彼らの主張は
「在来魚種の減少は、水質悪化と護岸工事をはじめとする水辺の環境悪化が主たる要因であって、ブラックバスが原因とはいえない」
ブラックバスは産業として確立しているので、その経済利益を損なうものだ」
バス釣り人のバス釣りを楽しむ権利を、国が侵害するのは人権侵害である」
ブラックバスを駆除対象とするのは、外来種を理由とした生命の軽視である」
ということであった。

この議論は、すべて「在来種を保護すべきか否か」という点に焦点がつきることは明白である。これらの異議申し立ては、ただその1点ですべて反駁可能である。論理の帰結である。

つまり、在来種を保護しても、経済的利益がないではないか、という議論が、この「ブラックバス議論」の本質なのである。もっとわかりやすく言えば、カネさえ払えばいいだろう、あるいはカネが儲かるのだから、国は文句を言うな、ということである。内水面漁協だって、バス釣り関連産業に商売替えすれば儲かるじゃないか?もうけて何が悪い?

はっきり言えば。クロメダカを保護したって、誰も儲からない、と。

小池環境大臣は「産業、産業と言っていたら、環境保護はできない」として、ブラックバス特定外来生物に指定した。官僚は慎重であり、バスは検討中のはずだったが、環境大臣は果断であった。小泉首相とウマがあうのは、この性格によるだろう。「刺客」と評して驚くのは後智慧であり、それ以前から争いを避けぬ仕事ぶりをしていた。

ブラックバスは、すでにどこの水面ともつながってない野池ですら生息しているのが、あちこちで見つかるようになっている。不法放流(密放流)が原因だと思われる。魚が急に涌いてでるわけはない。
しからば。
不法行為が原因であっても、その産業規模が大になれば許されるのであれば、高校生の売春産業は保護されなければならぬ道理であろう。ケータイやらメールやらの各種メディアの売上、専門ショップ(!!)の存在なども考えれば、一つの産業になるほどの数字になっていよう。
たとえ不法行為が原因であっても、それで「産業」という名の金儲けの仕組みが成立するなら、それで良いではないか、と主張する事は、ブラックバス関連産業と同じ論理である。

本当は。
バス問題の根底には、人間の快楽のために、自然の改造を行っても善だという思想が、その根底にある。

しかし、この快楽には、クロメダカが泳ぐ姿を見て慰藉となる人のことは、考慮されていない。
彼の慰藉は、バス釣りと違って、金儲けにならぬからである。

私の故郷の小さな畑の脇を、小川が流れている。
市のはずれの田舎であるから、護岸工事もない。その小川で、収穫した野菜をざっと洗って持ち帰る。
すると、川のなかに、小さなメダカが泳いでる。
トンボが水の上を飛んでいる。アメンボもいるし、アオスジアゲハも遊びに来る。
野菜を洗うと、黒い泥水が流れて、メダカは大騒ぎで泥水をよけて泳ぐ。洗い終われば、何事もなかったように、また群れをつくっている。

私が、いつか老年になって、再び故郷にかえる時がきたなら、かれらはまだこの小川に住んでいてくれるだろうか。それとも、便利な道路を造るために、ガソリンを燃やす自動車を通すために、この小川も暗渠にされることになるのだろうか。その工事が始まると、確かに建設労働者が雇用されて、地方は喜ぶのだろう。より便利になったと、皆が言うに違いない。

いつまでもメダカが泳ぐ小川が残れば有り難いが。
それは、既に許されない願望になってしまったのだろうか、と思う。