Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

刑法三十九条は削除せよ!是か非か

「刑法三十九条は削除せよ!是か非か」呉智英佐藤幹夫 他。

刑法三十九条というのは、
心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その罪を軽減する」
という簡単な規定である。では、どうするか?は書かれていない。まあ、治療する、というのが普通の解釈だろうと思うが。

で、この三十九条はよく問題になるのである。
近年の児童殺傷事件などの残虐犯罪を犯した者が、どう見ても三十九条に該当するように思えるからである。

で、本書は、この問題に関して、それぞれの筆者が肯定・否定・いろいろ書いたものである。
本書を通読すると、だいたい論点は以下の3つに絞られることが見えてくる。

1.近代刑法においては、罰されるのは「行為」であるわけだが、その行為と人間とは分離できないので、人間が行為を犯す自由意志があったことでもって、行為と人間とを接着して、その行為をした人間を罰することが可能になる。ところで、このロゴスは正しいか?つまり、近代法の枠組みそのものへの疑問(呉智英小谷野敦佐藤直樹

2.心神喪失・心身耗弱というが、その判定を正しくなし得るのか?という直接的な疑問。(滝川一廣

3.実際には三十九条は適用例が少ないので、削除の議論自体が問題にならないとするもの。

(4.遺族感情その他の議論)

ここで、卓抜だと思ったのは小谷野敦の議論である。
彼の議論は、近代法の枠組み自体への疑問という大枠では、呉智英佐藤直樹と共通している。ただ、「遺族感情」ということについて、明快にこう述べるのだ。
「もし、あなたが遺族だったら、、、という仮定は無意味だ。なぜなら、私は、もしも私が殺されたとして~(中略)許す、などという戯言を遺族にいってもらいたくないからだ。私は、私が殺されたら報復せよと言う」
まさに真実をついている。
遺族が「許す」といったところで、殺された本人が生き返るわけでも、その無念が晴らされるわけでもないので、考えるべきは「遺族」ではなくて「被害者」本人なのに決まっているのだ。
被害者ではなくて遺族を優先するなら、殺され損を肯定する議論にしかならないのは明白だからである。

とはいえ、その他の議論もそれなりに読みごたえがあり、単純にこの問題が決せぬということ知るのには、大変参考になる。
いちばん詰まらぬのは橋爪大三郎の論で、かれのは数学的にトートロジー(A=A)である。

評価は☆。
単純な復讐論より何が問題なのか?知りたい人には格好の書だと思う。
どっちかというと入門者向けだと思うけど、一般市民がこの問題を知るのにはいいんじゃないか。