Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

学校について2---知識を得る場として

私は、学校について、特に高校生以後は知識を得る場(受験勉強でも)として重要だと思っている。
すごく乱暴な議論で、小学校と中学校は元気に通うことができればいいと思っているのだ。私の姪っ子は、早生まれで体格も小さくて、学校の成績も今ひとつというので弟夫婦は気をもんでいるらしい。
私は、「ちゃんと学校に通っているか?」と聞いて「元気に毎日通っている」と聞いたので、なら何も問題ないだろうと言った。小学校の低学年では、早生まれが不利なのは当然だし、そんな差は成長するに応じて縮まる。大体、そんな勉強が得意でなくても、生きていくのに困りはしないと。

昔読んだ呉智英氏のエッセーに、こういう話があった。
あるたいへん数学の得意な生徒がいた。しかし、彼は家庭が貧窮していたので、上の学校に進学することができなかった。卒業時に、担任の数学教師は「人間、やる気があれば、どこでも勉学は続けられる」と励ました。かれは、計算が好きで、卒業後も、ヒマが有れば、紙に計算を繰り返した。
そして、その担任教師も定年をすぎ、すでに老境を迎えたある日。いまやすっかり中年をすぎた、そのかつての教え子がひょっこり訪ねてきたのである。
「先生、お久しぶりです!実は、先生のおっしゃった通り、どこでも勉強はできると思って、卒業後も余暇に計算を繰り返しておりました。そうしたら、大変なことを発見したのです!」
その彼が説明したのは、なんと2次方程式の一般解法であった!
そう、彼はまさに、永い時間をかけ、独学で2次方程式の一般解法を発見したのである。もちろん、2次方程式の一般解法は、もし彼が進学できていたら、半年後には学んだであろうはずのものである。
老教師は、衝撃のあまり天を仰ぐ。痛ましい人生の回り道に。かつて、自分が彼に励ましの言葉「人間、どこでも勉学はできる」という言葉の結果を、かれは目の当たりにしたのである。

学校では、知識を教えることは重要ではないという意見もあるようだ。
私が思うに。学校の役割は、小学校と大学では当然異なるだろうし、いわゆる「知育」を軽視することはできないと私は考える。

考えてもみよ。もしも学校で「生き方」でも教えるというのであれば、それは思想教育であろう。
ある生き方は良い生き方、ある生き方は悪い生き方というのであれば、私はそんな教育はまっぴらごめんだ。それは私が判断することだ、あなたに教育されなきゃならんはずのもんではない。私は、中学のとき、そう言って(今から思えば日教組の)教師を激しく問いつめた人間である。

そして、いざ進学してみたら、世の中において自分がいかに平凡な才能しかないか(いや、ひょっとして馬鹿なのではないか?)ということに気付いた。自分が貴重な才能に恵まれているとか、とても他人とは違う個性があるなどという幻想が一気に砕けたおかげで、私はなんとか生活できていると思う。ニートにならなくてもすんだのは、おのれが凡庸の器であるとしっかり自覚していたからだ。「自分探し」などしなかった。時間をかけてさがさにゃならんほどの才能はない、とすでに見切っていたからだ。(その割に浮き沈みが激しいのは、私の人格上の問題も影響してるんだろうと思う。。。いまだに結婚もできないしなぁ)

それ故、自らの体験として、小学校ではまず通えば良い、中学校も通えば大丈夫だけど、ぼちぼち知識教育にも目配りしたほうがいい、それより上の学校はまず知育をせよ、凡庸な才能はそこでしっかり挫折すべきだと思っているのだ。(大学は学問の府であるべきと思うが、学問に関してはまた別の見解があるのだけど)
受験教育自体を、私自身は決して悪いとは思わないし、その受験教育で悩むのも正しいと思う。
で、落ちこぼれることもあるだろうが、それはそれで良いのである。勉強が不得意であるのは、仕方がなかろう。勉強できない奴なりに、しぶとくしっかりメシを食っていけばいいだけのことだろう。

それにしても。
私の高校入学時の入試成績は2番であった。一応、田舎の県立高校の進学校ではあった。
しかして、入学後6ヶ月後の試験では、全生徒260名のなかで、254番くらいになった(泣)
あのときは、さすがに全身から血の気がひくような思いがしたもんだわな。
参観日で父兄懇談になったとき、私の当時の担任は、我がオフクロをバカにしきった態度であったそうだ。
おかげで、その後オフクロの怒ること!「このバカ息子!!」いや、自分もそう思ったし(苦笑)
いやぁ、まいったまいった(^^;)