Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

「時間」を資本に。

上場企業の役員として、どうにも不思議でならないことがある。
それは、現在の商法では、「時間」が資本でないことである。

株主総会というものは、定時で年に1回開催される(臨時をのぞく)。このとき出席する株主は、株主名簿確定日に株を保有する方である。
そして、議決権は、所有株数に応じて決まる。
私が不思議なのはここである。

株主には、会社が儲かったときも苦戦のときも、変わらず10年株を持ち続けておられる方もある。一方で、確定日に、1日だけ株を持った方もいる。その二人が、所有株数が同じであれば、同じ議決権しかもたないのである。
会社経営の立場で考えると、10年株を持って頂いた株主の意見が重んぜられて当然としか思えぬのである。

うちの管理担当役員に言わせると、「そりゃ資本主義だから」だそうだ。つまり、金=資本である、と。
私は問う。それはおかしい。だって、経営上で考えるならば、今や時間は資本である。利益を生むためには、金という経営資源だけでは足りぬ。どんなに金があっても、時間は買えぬ。インターネット普及前の社会に戻れぬではないか。しからば、利潤を生むための手段を提供したことでもって株主が重んぜられるというのであれば、時間をくれた株主を重んじねば、理屈に合わぬ道理ではないか、と。

その役員は、それは資本主義の否定だという。
別に、肯定も否定も構わない。私は、実際的な議論をしているのである。

短期の株主は、短期の利益を要求する。短期の株主に応えようとすれば、会社は目先の利益確保に走るだろう。それは、地道な研究開発や市場開拓の努力の放棄につながるだろうから、会社は中長期的には弱体化してしまう。
そのとき、すでに、短期の株主はいなくなっているのだ。
では、いったい「株主重視経営」とは何であるか?

IT企業はドッグイヤーであるという。犬が3ヶ月で人間の1年相当の年をとることから、それだけ業界がめまぐるしく、その中ではスピードが重んぜられる。
しかし、当の犬は、そんなせわしない生き方をしているようには見えない。彼らは彼らの時間の中で、散歩と食事と恋を楽しみ、人間と適当に付き合って生きている。

経営陣を変える自由が株主にある。だからといって、経営陣が株主の顔色ばかりをうかがってどうするのか?ただ、自分が、会社によかれと思う経営を一心にするだけのことである。
それがいいかどうかは、株主が判断することである。私が判断すべきことではないのだ。