Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

豊島区が放置自転車税を撤廃

池袋駅周辺の放置自転車に悩む豊島区は、今年から駅前駐輪場を6500台拡充するが、そのうち4000台分を鉄道各社(JR東日本、西武、東武)が負担することで、放置自転車税を撤廃する意向のようだ。
今年の税収は2億円を予定していたという。

ところで「放置自転車」とはなんぞや?
私は「放置自動車」というのを見たことがないんである。あるとすれば「違法廃棄車両」である。本来は廃車手続きをしなければ、自動車というのは勝手にあちこちに捨ててはいかんのだが、それを「知ったことじゃねー」と捨ててある場合が「違法廃棄車両」である。

じゃあ、「放置自転車」は、「違法廃棄された車両=粗大ゴミ」であるとでも申すのであろうか。
粗大ゴミなら、とっとと捨ててしまえば良いんである。そうすりゃ解決である。
ところが、その車両は、だいたい夜には消えているんである。しからば、それを「放置」とは言わんのである。そりゃ「駐車」車両であって、つまり「駐車違反」なんである。
「駐車」と「放置」が同じ意味だとは、新明解国語辞典だって書かない。

このような言葉を無自覚に使うから、マスコミも「マスゴミ」呼ばわりされてしまうわけである。
一言で言って阿呆である。

思うに「違法駐車」と表現してしまうと、軽車両と自動車の扱いの違いが、はっきり白日のもとにさらされてしまうからではないかな~。軽車両の駐車違反は滅多に成り立たないので、せいぜい条例違反くらいいしかならない。仕方ないから「放置自転車」。放置されたのは自転車行政のほうじゃないかね?
つまり。「道路を使う権利」自体は、万民に平等であるはずなんである。なぜかというと、道路は公費でつくっており、公共財産だからである。
で、その国民が「自動車」に乗ったり「自転車」に乗ったりするんである。
しごく簡単に申して、「自動車」を優先して「自転車」を粗末に扱うべき根拠はないので、なぜなら権利は「モノ」がもつものではなくて「国民」がもつので、その国民が平等だから、自動車と自転車に乗る人の権利は平等なのが当然と言うことになる。
あるのは、両者の物理的な大きさの問題だけである。

だいたい普通自動車一台分の面積があると自転車を12台駐輪できると言われておるので、自動車に対して自転車の利用者が12倍なら、駐車場と駐輪場を同面積、準備すれば良いことになる。
で、現実はそうなっておるかね?

駅前のデパートが駐車場をもつのは、その利便性で客を呼んで利潤を上げるためである。自転車の利用客に対して駐輪場を準備しないのは、公共財に駐車場の代わりをさせて利潤を上げることであるから、形を変えた税金ドロボーである。それは鉄道でも変わりない。
だから、税金をとること自体は別に正当性がないことではないんである。

豊島区の「放置」自転車の撤去費用が年間10億円だそうだ。一部に駐輪場の建設費も含まれると言うが、馬鹿をみるとはこういうことである。10億かけて撤去するなら、その費用を全部駐輪場にかけたらどうなんだい?って、小学生で思いつくレベルと言うべきである。

そういう思考停止を「放置自転車」という言葉で表しているんである。あほくさい。マスコミは言葉狩りをする一方で、嘘の造語もつくる。「従軍慰安婦」みたいなもんだ。信用できん。

ああ。
それにしても、早く自転車に乗りたいなぁ。。。