Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

奈良の仏像窃盗男。

奈良で「連続仏像窃盗男」が逮捕された。
法隆寺をはじめとする名刹から仏像が18件、連続で盗み出される事件があり、男は16件の犯行を自供しているそうである。

へんてこりんなのは、その動機である。
「夢の中に仏様が出てきて、仏像を集めろと言われた。御利益にあやかりたかった」と話しているという。
実際、盗んだ仏像は売却したりはせず、自室に置いていたらしい。

この男の犯した犯罪は窃盗である。もちろん、いけない犯罪である。
だけど。
仏像を売却するのが目的でなく、金銭のためにやった犯行とは言えない。
仏像を集めることで、本当に何か「御利益」があると信じたのか、ただ安心立命を得たかったのか、それはわからない。

彼の犯行は愚かである。
いかに立派な「文化遺産」であろうとも、木彫りの仏像を集めて、何の得があるだろう?ただ、犯罪者になるばかりだ。
しかし、彼は、盗んでまで、仏像を集めたのである。

なんとなく、他人事とは思えないことがあった。
この年齢になると、ぼつぼつ、自分の来し方行く末を考えてしまう。いったい、金銭やモノを集めて、そういう人生が幸せなのかなぁ?と思う。

夢の「お告げ」は、単に彼の意識が作り出した幻であろうし、それを信じて窃盗をするのは知恵のないこと=無明であろう。
しかし、彼は、結局のところ、そういう手段でしか、「何かに」すがることができなかったように思うのである。彼は、救われたいと願って、獄に落ちたのではないか。

この犯人は、私とわずか1歳ちがいである。
私は、この仏像泥棒を愚かだとは思うけど、彼の行為を笑い飛ばすことはできそうもない。
私だって、ある日突然、何かの「お告げ」を聞いてしまうかもしれない。私の意識が、それをつくるのだが、しかし自分が「お告げ」にすがらない、とは言い切れない。金銭やモノを集める人生と、みずから作り出した幻に執着する人生と、いったい何が違うといえるだろうか。

私も、彼と同じ無明のなかにいる。