Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ユダは裏切っていない

今まで長く見つからなかった使徒ユダのユダ伝が解読され、なんとユダは「もっとも教えを理解していた」のであり「イエスに命じられて、イエスをローマに引き渡した」のだという。

ユダといえば裏切り者の代名詞だけど、この話は納得性がある。もしもイエスが処刑されていなかったら、彼はたぶん救世主にはなれなかっただろうと思う。キリスト教の布教の上では、ユダの存在が絶対に必要である。
もしもユダが、真実、キリスト教の教えを理解していたならば、人々に「裏切り者」と蔑まれつづける苦難を引き受けることによって、その教えが永く伝えられるようにしたことになる。それは、キリストの説いた教義と全く矛盾しない。
むしろ、従来の「裏切り者ユダ」のほうが、ある意味では違和感を覚える話である。だって、イエスはユダの裏切りを知りながら黙認していたのであるから。その結果、ユダは永遠に裏切り者扱いになってしまったので、いくらイエスがユダを許すと言っても、愛の実践としてはおかしいじゃないか、と思うのだ。イエスが逃亡すれば、彼の名誉は地に落ちても、ユダの汚名を救うことができたはずじゃないか、と。
本当に愛を実践するのなら、自分が「卑怯者」「腰抜け」と罵られようとも、イエスは逃亡すべきであったろうと思っていた。

しかし。もしもこの発見が正しいとすると、真の偉人はユダ、ということになるような気がする。イエスがユダに命じたことは、それぐらい過酷な命だと思う。

ユダ伝もそうだけど、キリスト教には多くの「異端」宗派があり、有名どころではグノーシス主義などだ。これは早い話が「なんでこの世は苦難に満ちているのか?なんで造物主が、この世を作りたもうた時に、もっとマシな世に中にしておかなかったのか?」「人間が知恵の実を食べたことが原罪だというが、そんな実を植えておいたのも造物主しかないはずだ」ということから、「神は万能で偉大だが、しかし、狂っている」というとてつもない解釈を引き出してしまう。
宗教としては確かに異端なんであるけど、理屈は通っているんだよね。

宗教って、結局、論理では割り切れないこところに価値があるので、神学論争はあまり重要ではないのだろうと思う。
それでもつまるところ、ギリギリまで苦しむ人間を救うものは宗教なのだろうと思う。

だって。
もしも宗教がなくて、今の物質世界が万能だとしてみよう。
そこに、既に人を2人殺した殺人犯がいるとして、彼が「2人殺そうが3人殺そうが、どうせ死刑になるので一緒だ!みんな殺してやる」と言ったらどうだろう?彼の言い分は、全く正しいのである。
そのとき彼を止められるものがあるとしたら、宗教以外にはないではないか。

またつまらんことを書いてしまったなぁ。
今週はくたびれた。