Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

死の接吻

「死の接吻」アイラ・レヴィン

著者のデビュー作にして、倒叙物の傑作。
主人公が、大富豪の娘と結婚することを狙って、3姉妹を次々と殺害していく。その「完全犯罪」が崩壊していく有様を描く。

この物語の主人公は、第二次大戦に従軍し、日本軍と戦い、負傷して帰国したという設定になっている。そこで、人生において正義など何もない、金銭の快楽のために善悪を捨てるという行動原理を確立したようだ。
これが、終戦後の虚無主義アプレゲールである。著者は、まさにアプレゲールを本作において見事に描き出した。

ところで、ミステリにおいて、アプレゲールを描いた倒叙物といえば、本邦に超名作「白昼の死角」高木彬光がある。高校時代に読んで、当時大変な衝撃を受けたことを覚えている。

ついつい、この2作を比較してしまうわけであるが。
犯人の冷酷無比な計算ぶりは共通しているわけだが、本作は小説的技法を生かして、途中まで犯人がわからないような工夫がある。到底、デビュー作とは思えない、極めて洗練されたテクニックである。
一方「白昼の死角」のほうは、そのような技法はない。しかし、人物の造型、駆使される犯罪テクニックはまさしく悪魔的なものである。
つまり、より「作者の智」が光るのが本作であり、「作中人物の智」で圧倒するのは「白昼の死角」のほうである。
これは、実は日米両国の文化の違い、そのものを暗示しているように思える。
物作りそのものよりも、それを構成するフレームワークそのものに知恵をめぐらすアメリカは金融立国を目指したし、作品そのものにすべての知恵をぶつける日本は「物づくり」で世界のトップに立った。
今日の、その後の両国の歩みを知っている地点から見れば、誠に興味深い。

評価は☆☆。
名作であり、読んで損のない作品であるから、当然三つ星でも良いかと思ったが。
しかし、アプレゲールという面では、「白昼の死角」に及ばないと思い、☆を2つにした。たぶん、読み手が日本人であるためだろう。

なお、アプレゲールの系譜はハードボイルド、ニヒリズム文学に引き継がれる。アメリカでは、いかに虚無から人間性を取り戻すかがテーマになった。アメリカのハードボイルド文学の主題はヒューマニズムである。日本人的な解釈では浪花節になるわけだが、それはアメリカの現実がそれほど過酷であることを示しているだろう。大道廃れて仁義有り。
そういえば、本作「死の接吻」でも主人公が採用した金持ちになる方法は、令嬢との結婚である。自力で這い上がろうとした「白昼の死角」との違いがあるだろう。
一方、日本のハードボイルドの系譜は、その後、大藪晴彦「野獣死すべし」という時代を画する名作を得た。それは、作品そのものへ没入していく日本的なフレームワークそのものの滅びを予感した文学であったように思われる。その意味では、日本のハードボイルドの主題はデカダンスである。日本的な文化の崩壊こそ主題であり、それは敗戦国の文学として、ある意味で当然の帰結であった。
この破滅の思想は、ついに「三菱銀行人質事件」として現実のものとなり、大藪晴彦は「ただの娯楽小説」を書く作家となった。

ただピストルを撃ち、人がころころ死ぬとハードボイルドではない。日本には、そのような勘違いをした三文文士が多いのは事実だろう。
娯楽小説か主流小説かというのは、出版社の区分という資本の要請に過ぎない部分がある。
問題は、そこにある思想そのものである。

デカダンスを描いた日本のハードボイルドについては、また気が向いたら論じてみよう。