Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

神社の系譜 なぜそこにあるのか

「神社の系譜 なぜそこにあるのか」宮本健次。

神社が創建された「場所」の「自然暦」についての考察をした書である。
「自然暦」とは何か?簡単にいえば、古代の天文学は「科学」であり「魔術」であった。それは、西洋においても天文学が「占星術」からスタートしたこと、化学が「錬金術」から始まったことなどと同様である。
「自然暦」とは、天文学における「冬至夏至春分秋分」の日の太陽の昇る(または沈む」)方位を建築物に反映することであって、簡単に言えば天文と建築の融合である。
イギリスのストーンサークル(日本にもある)などが原型であろう。

で、神田明神から始まって、靖国神社まで、その「自然暦」を追求するわけである。

面白いのだが、ちょっと疑問に思う点もないではない。
このような視点で言えば、日本のように彼方此方に「神社」「霊域(山とか滝)」があると、結構「自然暦」が成立してしまうのではないか?ということである。

簡単に説明しよう。
春分及び秋分は、太陽の昇る方位と沈む地点が同じである。よって2カ所。夏至および冬至では、それぞれ異なるから、2カ所+2カ所。それに、この本にあるように「真北」「真南」「真西」「真東」を加える。すると、自然暦の成立する方位は、合計10カ所がある。
さて。試みに、皆さんの自宅から、この「自然暦」の方位を見たとして、そこに必ず由緒のありそうな「神社」「名刹」「山」「滝」がないだろうか?
いささか意地悪であるが、結構成立してしまうんではないか?と思ってしまうのだよね。

ただし、もう一言付言しておくと。
この本にあるように、日本の有名な神社、または「霊験あらたか」とされる神社は、なぜかすべて「南面」している。拝殿が南向きに建てられている。
もちろん、拝殿にいっぱいに光を取り込むように、、、という意志だろうとは思うのだが、これは奇妙なことである。
この点は、すでに今から30年くらい前に、工学博士の内田英男氏が指摘したことである。(日本の航空機事故や列車事故などの大事故が、三輪山起点の破軍星の方向になるとも指摘した。北斗七星の柄杓の一番端の星である)

サイクリストの人たちは、神社が好きである。旅先で出会った名も知らぬ神社に手を合わせ、そこまで無事に走ってこられた感謝と、旅の行く先の安全を祈願する。自転車の旅は、いつ何が起こるか分からない。それをよく知っているサイクリストは、自然と神様におのずと謙虚になる。
自然暦は、もちろん考えられたことだろうけど、実際はあちこちに無数の神社があり、みなそれぞれに有り難い神様である。あっちの神様とこっちの神様に関係があったり、序列がついたりしないほうが良いのじゃないかな、とも思う。

評価は☆☆。
労作だし、説得力もある。反論はしてみたが、なるほどという部分も多い。私は、特に豊国神社とか東照宮靖国神社などの「人が神様として祀られた神社」に関しては、その感が強かった。
神社に興味を持つ人、荒俣宏帝都物語なんかに夢中になった人には面白いのではないかな。