Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

態度が悪くてすみません

「態度が悪くてすみません」内田樹

いやー、これは面白い。巷間、人気になってきているのも納得である。

私は「構造主義」という奴が、イマイチ理解できなかったのだ。フーコーレヴィ=ストロースジャック・ラカンも理解不能である。もちろん、だからといって他の哲学的立場について理解しているかといえば、全然たぶん分かっていないのだけど、なんとなく感覚で「わかった気になれる」。しかし、「構造主義」だけは全くダメであった。
で、この本をよんで、ちょっぴり構造主義のはしっこが、なんとなく「へー」と感じ取れたのである。内田先生、きっと私のようなアホ読者を想定して、ずいぶん分かり易く書いてくださったのだなぁ。ありがたや。

例えば、マルクス主義にせよ実存主義にせよ、「今ここにいる私」が最上のものであるという前提がある。もっと乱暴にいえば「新しいものほど、進化しているはずで、よりよくなっている」というテーゼである。それを「歴史の必然」だとか「弁証法的発展」だとか言う。私は、進化論との相似から、歴史的ダーウィニズムだと思うのだけど。
つまり、もっとも新しいこと、そして生き残ることで、ある思想は「正しさ」を獲得するわけだ。(しかし、この主張にはダーウィニズムに対する批判『トートロジー』がそのまま当てはまる。正しいのは生き残った思想だ、では生き残る思想とは何か=正しい思想だ、となると、ただの循環論理である)
なんとなく、我々自身が「歴史は進化している」「歴史の判断に待つ」とか言う。そういう考え方が根本にある。

しかし、構造主義は、そういう考え方をとらないのだな。すべての思想を、内田先生流にいえば「カッコにいれて」眺める。つまり、自分をなるべく客体化して、公正な判断をしようとする。すると、それぞれの思想の背景には、実はその思想が重視された「構造」がある、というわけだ。簡単にいえば、生き残った思想が正しいのではなく、生き残る「構造」があっただけ、ということになる。
感覚的な説明で申し訳ないが、私には「へー」だったのである。

この例を、なんと内田先生は、ジャパニーズポップスの生きる伝説「大滝詠一」を引き合いに出して説明してしまうのだよ。たしかにビーチボーイズビートルズに対するアンチテーゼの音楽ではあったけど、結果としてエバーグリーンなポップスの美を獲得したとは言えるわけだ。(そういう例は出ていないのであるけど、強引に説明)

このような立場からすれば、遠慮がちではあるけど、高橋哲哉氏の靖国参拝批判に対して「論理はそうだけど、それならすべての国にナショナリズムを認めるべきではないし、戦死者の追悼もできないことになる。それは、おそらく支持を得られまい」と指摘する。そして、もの言わぬ死者に対する弔いをどうすれば良いのか、という問題に、この問題をひきもどせと主張する。

私は、かつて靖国問題に関して「死者のために弔いをすべきだ」と書いた。生者の都合で参拝が行われなくなったり「無宗教」形式になるなんておかしい(無宗教の”慰霊”があるわけない)としたのだけど。あれは、構造主義的な立場に近いものだったんだな。今さらながらに「へー」だったのである。

というわけで。
大変参考になりました。
それだけじゃなくて、実に面白い本である。

評価は☆☆。
かなり推薦。ただ、3つ星にしないのは、私の態度が悪いわけである。もちっと、他のものも読んでみたくなったわけである。期待値を引いたのである。誠にすいません。