Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

杉浦日向子の江戸塾

杉浦日向子の江戸塾」杉浦日向子

江戸といえば杉浦日向子だ(偏見)。
杉浦日向子と言えば「ソ連」(蕎麦屋で憩う連合?)だ。今さらであるが面白い。

江戸は参勤交代で武士がやってくるし、地方からも人口の流入がある。当然、男性過多で女性は少ない。するとどうなるか?
当然「市場の原理」が働く。女性の価値が高騰するワケであるよ。

であるからして。
江戸では「朝、メシを炊くのは男の仕事」「おかみさんは、ダンナが出かけると朝酒」「間男もちょいちょいとつまみ食い」実に優雅な暮らしであったようだ。
もちろん、武家のお嬢様はそうもいかないのだが、庶民の女性は相当自由な暮らしであったらしい。
女性の職もたくさんあったから(なにしろ女性人口が少ないから、求人が相対的に多い)自分の遊興費は自分で稼げるわけで、ダンナは食費をもってくるだけの存在であったようだ。
あまりハデに遊びすぎて、近所の目もあるので「離縁」となって「三行半」となるわけだが、それは武家の話というのがほとんどだし、三行半を貰えば女性は自由に再婚できたので、あれは女性が書かせるものだったらしい。
そんなわけで、子どもが出来ても父親が正確にはわからないことがザラで、それでも子どもは地域が育ててしまうので、さして問題ではなかったとか。

おそらく、想像だが。
明治維新後、あれだけ男尊女卑に傾いたのは、江戸の男どもの積年の憾みかもしれんなぁ、、、と思ったりする(苦笑)
だけど、こりゃ考えようによっては良い世界だな。一夫一婦制など、しょせん邪悪な西洋の切支丹ばてれんがもちこんだ「さかしら」にすぎぬ、というのは痛快だし、愛だの恋だの言ったって、はしかと一緒で山を越えればどうってことない、というのは我々もよく理解しているわけだし(笑)

やっぱり「寿司」「蕎麦」「ウナギ」「天ぷら」が江戸の大好物だったそうだが、これらは庶民の食べ物でもあったそうで。何しろ、長屋には、台所が1つしかないんだからね。飲食店が流行るわけだ。
つまり、銀座で30~40分で食わされるランチで2万もふんだくる「次郎」なんざ、江戸前の流儀じゃねーってことよ、てやんでぇ。江戸前なのは食う時間くらいのもんで、江戸っ子は早食いってことよ、あたぼうよ、てやんでぃ。

その点、蕎麦屋はいまでも身近な値段で頑張っているわけで、杉浦女史が蕎麦屋を愛したのは、たぶんもっとも江戸の流儀を残した飲食店だからなんだろうね。

評価は☆。
江戸に詳しい人にとっては「いまさら」な内容かもしれないけど、時代劇のウソとか分かるのも面白い。
あまりに早く旅に行ってしまった杉浦女史を偲びつつ。