Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

絶対音感

絶対音感最相葉月

この本は「絶対音感とは何か?絶対音感があるとはどういうことか?」というよりも、「絶対音感を持たない人間が、絶対音感を書くとはどういう事か?」を読む方が面白いと思うのである。

なんて意地悪な野郎だろう、40過ぎてヨメの一人ももらえん男はこんな考え方しかできんのか、などと思わないで頂きたい。いや、思うのは内心の自由であるから、それは仕方ないけど、そのようにワタシには言わないで欲しい。何故と言うに、私は気が小さいからである。

それはともかくとして。
つまり、絶対音感というものは、遺伝だか幼少時の訓練だかわからぬが、とにかく大人になってから一念発起してみたところで、身につく可能性は限りなくゼロである。
すると、絶対音感を身につけぬままに大人になった著者であれば、どのように絶対音感を描くであろうか?

たとえてみれば、私は全く球技に弱い、運動音痴なんである。その私が、野球を見る。すると、投手が、苦労しながら投球している。速い球を投げたと思えば、曲げてみたり落としてみたりする。それだけでなくて、打者を睨んだりチラとベンチに目をやったりする。
それを、解説者が解説する。あんなもの、どうしようもないと思うくらい下手くそな解説が多いのが事実であるが、それでも彼の言葉を聞いてしまうのは、彼が「経験者」だからである。
私はプロ野球のマウンドに立ったことはないが、その経験がある人が「こういうときは、こう思うものですよ」と言うから、そうかなと思うのである。自分では経験がないわけだから。

絶対音感について考えてみれば、これを全く持たない人が、絶対音感に関する本を書くというのは、全くプロ野球の経験がない人が解説をするのに似た道理である。
その語り口が、どんなに巧みであっても、我々はこれを信用して聞くことはしないだろう。
だから、この作者も同様で、絶対音感を、これを経験している音楽家達のインタビューという形でまとめざるを得なかった。

だけどね。
剣豪作家が、剣道の有段者とは限るまい。ミステリ作家が、年がら年中殺人事件を解決していたら、どえらいことである。
つまり、文章の愉しさとは、「偽り」をいかにもっともらしく、そして「この作者は経験者じゃないんだから」という考えを忘れさせるか、にあるだろう。

この手法では、つまり「絶対音感」という素材そのものに寄りかかった一作しか書けないだろう。
事実、失礼ながら、この作者は次作の評判を聞かない。

評価は☆である。
インタビュー集はドキュメントではない。もうちょっと、だと思うんだよね。

ちなみに、私も絶対音感はありません。相対音感はある、つまり「音痴」ではないと信じたい。。。(笑)