Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

立ち上がれ日本人

「立ち上がれ日本人」マハティール・モハマド

あの「ルック・イースト」政策で有名なマレーシアのマハティール首相の著書。簡単に言えば「アジアにはアジアの価値観がある」「なんでも英米追従は間違い」「英米と戦った大東亜戦争は、よってアジアにとっては必然」「日本はアメリカの属国になるな」「イスラムは反米で仲間」「アジアの盟主として責任を負ってほしい」「中国とは仲良くする、中国は脅威でなくチャンス」だというもの。

賛否両論あるであろうが、少なくとも思想的立場は一貫しているなぁ。つまり「反米」であるから「大東亜戦争肯定」であって、「アジア対欧米」という枠組みの中で物事を考えれば、このほうがよほどすっきりする。日本のサヨクのように「大東亜戦争侵略戦争」「だけど反米」「でもアメリカ製憲法は不磨の大典」などという支離滅裂な主張(笑)より、よほど分かり易い。

だけど。
私は、日本は「立ち上がる」必要なんぞない、と思っているのだ。そんなに、偉い民族じゃなくていいじゃないかと思う。
かつて、ヘタに立ち上がったら、酷い目にあった。何もかも「日本がアジアの盟主」だと思ったためである。

そのうえ。
ボコボコにやられたのは致し方ないが、その後の扱いもひどい。

仮にジャイアンのび太が喧嘩したとする。のび太ジャイアンにボコボコにやられてしまう。さて、喧嘩が終わればどうなるかね?
のび太ジャイアンをうらむ」のが当然である。ところが、我が国の隣国などは「戦勝国」を自称しつつ、いつまでも我が国をうらむというわけだ。
喧嘩に勝ったはずのジャイアン側が、いつまでものび太をうらむというのは、まったくよく分からない話である。
本来ならば、負けた日本が「戦勝国」をうらむのがスジではないか。

この「歴史の教訓」を素直にとれば「その気になって、、、まったく、ろくなことはないわな~」となる。おそらく、戦後の日本人がエコノミックアニマルと揶揄されつつ、自国の経済発展のみに専心したのは、おそらくこの心理があるのだ。「もう俺知らんもんね~、んなことよりカネ儲けしてイイ思いしてやるけんね~」というわけだ。
もう「その気」になんかならんぞ、という崇高な(笑)決意である。
そう思えば、実は憲法9条は「渡りに舟だった」という見方もできるのではないかな。
日本人の戦争嫌いは、たぶん本当であって、すぐに「軍靴の音が聞こえてくる」人はちょっと幻聴気味ではないかと思う。

評価は☆。
なるほど、東南アジアはこういうことを考えているんだなーという意味では参考になる。アジア=極東ではないし、まして特定アジア(笑)でもないわけだから。
だけど、真に受けちゃダメだと思うな。都合が悪くなればハシゴを外されるだけなんだってことは、よく覚えておいたほうが良いかと思うのだ。
「自主独立」なんてカッコ良い言葉であるけど、カッコわるく、ずるがしこく、意地汚く立ち回って生き残るのも、それなりに過去に学んだ生き方であるとは思う。江戸時代以来「強い者を秩序として繁栄を謳歌する」のは、我が国の伝統芸だと思うのだが。