Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

行動経済学-経済は感情で動いている

行動経済学-経済は感情で動いている」友野典男

非常に面白く、大変納得させられ、ついつい説得されそうになり、ほとんど受け入れつつ、何か一抹の疑問を持つ。ホントに、これでいいのだろうか?

著者は云う。「伝統経済学では、経済人は感情ではなく勘定によってのみ、行動することになっている」
例をあげる。
あなたが1000円をもらって、これを誰かさんに分け与えれば、残額があなたのものになるとする。相手は、あなたが提示する額を貰うか、もしくは拒否することができる。拒否した場合は、あなたも、相手も、一文も貰えないものとする。
このとき、経済人の回答は「1円」なのである。なぜかというに、相手は拒否すれば1円ももらえない。だから、1円でももらったほうが良い。よって「1円」を提示すれば、経済人たるあなたは999円の「最大利潤」をあげることができる。
ところが、実際に実験してみると、1円を提示する人はほとんどいないし、10%程度の提示でも拒否される確率が高いそうである。つまり、相手は「自分の取り分がゼロになるというコストを払っても」「あなたにペナルティを与えるほうを望む」のである。このゲームを複数人で行うと、今度は「他人が罰してくれるのを待つ」という「フリーライダー(ただ乗り)」が現れるのであるが、何度もゲームを繰り返していくうちに「多くを与える者は多く貰える」「少なく与えるものは少なくしか貰えない」(ペナルティを与える者はそのコストに見合うだけ多く貰える)という傾向が現れるのだという。
ただし、ペナルティをなくしてしまうと、この協力関係は崩壊してしまう。

つまり、従来の経済学が考えていた利得としての「勘定」以外に、実は「感情」も利得であり、その総量が多いほど有利なので、人間はそのような行動をとるらしい。
著者は、それを最終章で、脳科学や進化論と結びつけて論じている。

これらの理論は、我々の日常の行動に、実によくマッチしているように思える。それだけに、説得力は抜群だ。
一方、こういうことも言えるのではないか。つまり、人間が争う(ペナルティを与えることを望む)のは、協力関係を維持するためである、と。
実に、逆説的な結論となる。この点に関して、著者はおそらく、意図的に言及を避けている。しかし、論理は、間違いなくそうである。

もしも、我々が、国家、民族はもとより、家族や恋人とも「協力し合わない」社会(それは、古典経済学が云う経済人-すなわち、すべて「合理的に」「勘定で」動く人間達ということになる)となれば、争いは無くなるであろう。我々が「社会」と呼ぶものがなくなるのであるから。
この主張は、ある意味でリバタリアニズムの究極の姿に近いものだ。

先にあげた1000円を与えるゲームでは、だいたい40%程度の金額を提示する者が多く、100%という者はゼロであったそうだ。
なんとなく、協力も自立も駆け引きも、たぶんそんな割合が「良い加減」ではないかと思う。

評価は☆☆。考えさせられた、という意味において。
率直にいって、大変面白い。だけど、反面、非常に危険な思想を含んでいるように思う。
なにが、どこがそうなのか、うまくは言えない。
ただ、この経済学が主流になった世の中は、非常に快適で、だけど気味が悪い世の中ではないかな、と思った次第である。
まだまだ考えたいことはあるが、あとは折々の考察をしていきたい。