Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

戦争の克服

「戦争の克服」森巣博鵜飼哲阿部浩巳。

壮大なタイトルである。壮大なテーマである。そして、この本で他人様からカネをとるのだから、実にいい根性である。尊敬するほかないんである(笑)かく生きるべし。
本書を読むと、いかに戦争の克服が難しいか、よくわかる。なぜなら、人は、自分の思考の枠から出ようとは、なかなかしないからである。(バカの壁というらしい)それを実感させられる、得難い本である。

森巣氏はばくち打ちである。ばくち打ちが、深遠な思考を持っていれば、立派に劇画になるのであって、つまり現実にはそれだけ希有なのである。まあ、仕方がなかろ。でも、なかなかうまく、二人から話を聞き出している。よって、他の二人の正体が暴露される仕掛けである。
そういう意味で、なかなか良い司会をしていると思う。

鵜飼氏の主張は、ある意味でスジが通っているのだ。つまり、大東亜戦争は「反米戦争」である。だから、まんざらではない(と思っている)。
カントの永遠平和論などの説明も、現代風に分かり易く話そうという努力がある。そのまま主張を認めるかどうかは別だけど、主張は理解できる。

阿部氏の主張になると、宇宙人である(笑)。
彼は国際法学者であるそうだが、まず「戦争」が国際法違反だという。ワタシは腰をぬかさんばかりに驚いた。私が20年前に学んだ国際法では、然様なことはなかった。知らぬ間に、通説は変わってしまったのか?侵略戦争はともかく、自衛戦争は禁止したという話を聞かないし、以後の世界の歴史を見ても「戦争は国際法違反」という認識が成立しているとは思えないが。条約及び宣言は、遵守された実態があって、相当の期間を経てのち初めて国際法として成立する、なぜなら国際法は「実定法」であり、なかんづく「慣習法」だからである、と思っていたのだが、この人の国際法は私と違うらしい。。。

この阿部なる人は、戦争犯罪を裁く「民衆法廷」を行った人で、昭和天皇は戦時性犯罪の犯人として死刑の判決を下した立派な方である。「模擬法廷」という批判もあるが、と本人も言っておられるが、まず何よりも現代において「弁護人なし」の裁判を行った画期的な人である。こういう人が国際法学者を名乗れて、本まで出せる。NHKが自分たちの主張を放送しないといって憤慨している。国家権力の圧力だそうだ(笑)確かに、日本は平和国家だと痛感せざるを得ない。ありがたいことである。
この方によると、日本国憲法国連憲章よりも更に進んだ、世界でも先進的な憲法なのだそうだ。

で、そんなに日本国憲法が素晴らしいならば、イラク戦争において、イラク政府は「戦力不保持、政教分離」の新憲法GHQの支配のもとに発布するべきであると思うのだが、それはいかんらしい。イラク人民による憲法でないからいかんのだそうだ。
同じ事を日本に対してなぜ主張しないのか、まったく不思議でならないのであるが。

当然であるが
日本国憲法が世界が模範とすべき憲法であるならば、イラクも同様の憲法を持つべきである。なぜなら、イラクは世界の中だからである。
・自主憲法でなければいかんというのであれば、日本国憲法の成立過程を問題にするべきだ。
となる。
この「国際法学者」さんは、日本さえ「素晴らしい憲法」をもっていれば、他国はどうでもいいようだ(笑)

この矛盾が、この人にとってはまるきり矛盾でない理由は実はハッキリしている。それは「反米」が憲法よりも大事だからである。反米であれば、世界は平和なのである。
「戦争の克服=反米」。
なんとシンプルかつ力強い主張であろうか?
これが学者先生の見解である。人間、どうあっても、なんらかの説を為すことは可能だと身を以て示してくれたのである。実に有り難いことである。

本書巻末には「戦争の克服は難しいという結論になってしまったかもしれないが」とわざわざ書いてくださる親切ぶり。それはそうだろう。反米に夢中で、そんなこと、ろくに考えちゃいないわけだからさ。
考えてもいないことを出来る道理がございません。納得。

評価は無し。(^^;)
ただし、署名を「米国の克服」と改めるならば、それなりに評価に値するだろう。その場合「タイトルが中身そのもの」という点で評価できることになる。昔「小さなことにくよくよするな」というタイトルの本があって、中身がタイトルままだったので感動したことがある。書名で尽きている内容を、仮にも数百ページの本にする努力に驚いたものなぁ。
つまり、本書で、最大かつ唯一の問題は「タイトルが悪い」ことだったのである。(笑)