Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

レジ袋の有料化

いよいよ、大手スーパーでレジ袋を有料化するようである。

私は、40過ぎの独身男であるから「自分のことは自分で」やっている。つまり、晩のおかずも自分で買って帰るわけだ。見上げたもんだろう、と会社の女子社員に言ったら「いいから誰かに作ってもらえるようになってみたら?」と言われた。余計なお世話である。

そういうわけで、自転車通勤の帰り道にスーパーによって、野菜だの魚だのを見つくろう。めんどくさいときは、お総菜コーナーですませる場合もあるが、これをやりすぎると全て手抜きになるのでいかん。自分で鰺を3枚におろしたり、イカ刺しをつくったり、鯖を煮たりするのは嫌いではない。吸い物を作るのは、単純なようで味の加減が玄妙で難しいな。

で、今までさんざんスーパーのレジ袋にお世話になってきた。だけど、これからは考えねばならん。レジ袋は便利だし、数円くらい、どうってことはないという見方もある。
しかしながら、これも機会なのである。自分で買い物袋を、通勤バッグの中に忍ばせておけばよいので、そうしようと思う。麻の袋など、なかなか丈夫で良いのではないか、と思ったりする。

日本の文化を「使い捨て」だと思うのは早計だ。
割り箸も、畳も、障子も、みんな「使い捨て」ではないかと思うのは一面的な見方である。というのは、これらの材料はみんな「再生可能な資源」だからだ。間伐材も、い草も、こうぞも、また生える。割り箸も畳も障子紙も、みなすべて土に還るものである。
生活が、自然のサイクルの中でちゃんととけ込んでおり、季節の変化のなかで潤いがあった。
お客様に割り箸をお出ししたり(あらかじめ割って出さないのは意味がある)、新しい畳の薫りや、新春の陽光を新しい障子で迎えたりする暮らしこそ、日本が世界に誇るものだと思う。
そういえば、最近の家には「床の間」がないなぁ。庶民の誰もが芸術を楽しむ、素晴らしい空間なのだけどね。私の父は大工の棟梁だったが、常に床の間にはもっとも気をつかっていた。違い棚の造作に懲りすぎて、よく母に「これじゃ儲からないでしょ!」と文句を言われていたっけなぁ。困ったような顔をして、ぶつぶつと下を向いてつぶやく父の気持ちが、最近ちょっとだけ分かるようになった。

上京以来、そういう暮らしを失って、私も久しい。
つまらないことだが、買い物袋を持参することは、そんな生活をちょっとだけ取り戻すことになるのではないかと、つい思ってみたりするのである。