Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

未履修問題

nazunaさんもブログでご指摘されているように、実は私の高校生の頃(すでに四半世紀前くらい!)だって、「進学校」ではそんな話はざらに転がっていたように思う。
なので、本音を言うと「何を今さら」となるのだけど。

ただ、気になることがある。それは、この問題に対する対処法である。世界史の補習を実施するのに70時間だとか、いや50時間にしろとか議論があった。実に下らぬと思う。

そもそも、この「未履修」の教科を勉強することが「役に立つこと」ならば、未履修だった生徒は学習の機会を失ったことによって「損をする」のであるから、補習時間は多い方が良いに決まっている。
そのような議論にならないのは、この教科が「受験科目にないから」である。つまり、「受験科目でない教科は役に立たない」と、生徒本人もPTAも、「可愛そうだから卒業させてやれ」とのたまった政治家も皆が認めているのである。だから補習時間は「なるべく短くしてやる」のが親心だ、となる道理である。

さて、もしも、この前提を受け入れるならば、被害者は「受験科目でない教科」を履修させられた生徒の方だということになるではないか。なぜなら、これらの生徒は「役に立たない勉強」をさせられて、未履修の生徒に遅れをとることになってしまうのだから。つまり、救済策を講じるべきなのは、むしろ履修してしまった(!)生徒であることは明らかではあるまいか。「未履修」は問題外じゃないか、と思うのである。
それとも、何かね?「世の中、要領よくやった者勝ち」と高校生に教えたいのであろうか?それはそれで、一つの教育に関する信念ではあるとは思うが。

このような視点でものを考えれば、もっともリーズナブルな回答は、今から大学受験科目に大急ぎで世界史を加えてしまうことのはずである。そうすれば、未履修の生徒の「受験科目しか勉強しない」という意図にも応えられるし、履修済みの生徒が不利になることもない。全国で多くの高校生にイヤイヤ補習をさせるよりも、数百人の大学教授が今からヒーヒー言えば済む。世の中全部を見渡して考えれば、一部の教授が苦労するだけで問題が解消するので、負担がもっとも少ないはずである。

しかしながら、このロゴスに満ちた回答は、たぶんまともに議論されることもないし、言えば「屁理屈」の一言で片付けられてしまうだろう。

なぜ、このような解決法が「笑い話」になってしまうのか?
それは、本当は上記の事情の中で触れていない、しかし皆が了解済みの「ある事情」があるからだ。
だけど、その問題を放置しては、やっぱり教育改革なんてできないのじゃないか、と思うのだけどね。