Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

自殺する人々に

いじめによる自殺が話題になっているが、実は子どもばかりではない。
冷たいことを申すようだが、統計上、昔から若者の自殺は多かったはずである。ただ、近年は、中高年の自殺者も増えて、毎年3万人以上の方々が自ら命を絶たれている。
苦しむ結果として大人でも自殺するのであり、感じやすく心の弱い子どもはなおのことであろう。

「死んではいかん」というご意見も「死ぬなんて馬鹿者め」というご叱責も「勝手に死ね」という一見冷徹な(内容はそうではないのです)ご意見も、みなそれぞれ納得できる部分がある。

で、私は白状するけれど、やっぱり「死んでしまおう」と思ったことがある。鴨居が近く見えたことがある。
いや、私ばかりではないだろうと思う。例えば、この私の記事をご覧になっている方で、ある程度の年齢に達した方々ならば(私の記事は面白くないから、若い人は読んでないだろうなあ)今まで一度も「いっそ、死んでしまったほうが」と思わずに済んだ人は、幸運ではないですか?

では、私は何故、今日生きているのであろうか?
真実を白状する。「ホントに死ぬ決断も出来ないほど、いざとなれば卑怯惰弱の男であった」からである。だから、このように毎日相変わらず目先の問題に悩み、ため息をつき、無理難題に四苦八苦する日々を送っているのだ。

正直に言う。生きることは、そんなに愉しく夢一杯のお話ではない。少なくとも、私程度の年齢になれば、ますますそうだ。背負うものは大きく、なのに自分の能力はさっぱり大きくならない。仕事とは、そもそも無理をするから金を貰えるものなのだと、妙な納得をするばかりである。
おまけに嫁もいない、子どももいない、仕事では小泉元総理じゃないが「使い捨て」も多く、このまま寂しい老後が待っていることは確実だ。明るい未来なんて想像できないよ。

まあ、そんな毎日でも、たまに愉しいこともある。面白い言葉に出会ったり、美味いものを喰ったりする。木々が葉をつけたり枯らしたりするのに感じ入ったりする。ごくささやかな楽しみである。

この程度の人間なので、今まさに命を絶たんとしている人に、勇気のある言葉をかけてあげることができない。本当にすまんことである。

ただ。
「死んでやろう」と思い詰めているあなたが、実は腰抜けで、思いはしたけど結局死ぬだけの勇気がなかったとしたら、そりゃあなただけではないと言ってあげることはできる。私も同類だ、この程度の男です、死ななかったから良かったと大声で誇れるわけでもありません、なんとか生きのびてはいます、胸をはれることはありません、それだけの話である。

腰抜けだから生きている、そんなものだけど、まあ許してもらえないかな。「決断したら実行する」素晴らしいとは思うが、世の中がそんなに素晴らしい人ばかりでは困ります、素晴らしくない人間も生きています、どうせいつかは死ぬので、あまり決然とお決めにならずとも、などと思うのである。

で、実際には「素晴らしい人」が死んでしまい、根性無しは死ねない。根性無しは、結局この世にとどまるようになっているのが、天然自然の法則になっているようには見えませんか。アア、やっぱり屁理屈だと言われるでしょうね。役には立たない、そうです、すいません。
私は、このように、役立たずゆえに生きております。あなたも、役立たずでありましたら、きっと生きていかれるでありましょう。

本当に申し訳ない。