Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

中国 核ミサイルの標的

「中国 核ミサイルの標的」平松茂雄。

中国は50年代に米国から核攻撃の威嚇を受けて外交上の譲歩をしたことから、核開発を決断。最初の核実験を1964年に行っている。これはフランスと同時期であり、核装備国家としては既に中堅と言える実績を積んでいる。
中国が開発したのはウラン型原爆であるが、爆縮型であった。ウラン濃度に自信がなかったためだろうが、その後の実験回数は50回を超える。充分、安定的な運用能力をもっていると言って良い。なぜウラン型にしたかというと、最初から「水爆開発」を念頭においたためであり、水爆の起爆装置としてはウラン型しか使えないからである。中国は、その後核ミサイル(東風シリーズ)を開発し、水中発射核ミサイル(SLBM)の実験も成功、固形燃料ミサイル(液体燃料型と異なり、短時間に発射可能)も開発成功したと言われる。核ミサイルは全土に広がったシェルターに隠匿されており、米国の核攻撃にあっても残存性を高めるようになっている。

毛沢東は、原爆について「張り子の虎」と評した。人民戦争の前には原爆など張り子の虎のようなものであるから畏れるに足りない、日本が降伏したのはソ連参戦のせいであって原爆は関係ないという宣伝に躍起となった。その影響を受けた日本の知識人が同じ見解を披瀝するなか、実は大飢饉のさなかに国力を傾けて原爆を開発していた。「金門島砲撃」によって中ソは対立、ソビエトは核開発支援を中止するが、中国は独力でこれを完成する。
毛沢東フルシチョフに「社会主義国家の核は良い核、帝国主義国家の核は悪い核」「抑止力の核は必ず使用されなければ見透かされる」「中国6億の人口が3億に減ってもすぐに元にもどる」としてキューバ危機のフルシチョフを批判した。フルシチョフは「核戦争は人類滅亡」だとの認識のもと、毛沢東の批判を「野蛮な考え」だと嫌悪、これが金門島砲撃後における中ソ対立を決定づけたのである。
危機感をもったソビエトは、極秘のうちに「核開発施設攻撃」の共同作戦を米国に持ちかけた。しかし、罠ではないかと考えたこと、日本陸軍の轍を踏みたくなかった米国は秘密提案を拒否、中国は独自に核開発を行い装備する。
現在、年産核爆弾数は推定で70発程度、配備済みは数百発と見られる。

台湾有事の場合、中国にとっては日米安保条約が邪魔になる。そこで、米国には「介入すれば米本土核攻撃」日本にも「米軍基地および東京核攻撃」カードを切る。中国は、このカードを切るために営々とミサイル開発を続けてきたが、今や米本土攻撃の能力を持つに至って居る。
この脅迫を受けたとき、もし日本が屈したら、日米安保は瓦解する。一方で、日本が意地を張ったとしても、米国が台湾を見捨てるケースはあり得る。その場合、日本のシーレーンはすべて中国の手に入るので、日本は中国の衛星国家として生きてゆくほかない。中国にとっては台湾、日本を自由に通行して太平洋への出口を自由にするのが狙いであるから、彼らは決して屈しないであろう。

評価は☆。
著者は中国政治の研究を40年間行ってきたのであり、解説は淡々と、中立的に記述してある印象だ。

日本の核装備議論について色々あるが、私は議論はあって当然だと思う。その上で、日本は核武装すべきではないだろう、というのが現状の考えだ。
日本は日米安保なしでは生きていけないし、そのためには、米国に不信を抱かせることは利益がない。

また、対北朝鮮に関しては、もしも日本が核攻撃を受けたら、米国は必ず報復すると思われる。そうしないと国際社会で信用を失うしドルが失墜する。北朝鮮には報復能力はない。

しかし、中国が脅迫してきたら、話は別だろう。私が米大統領なら、日本を見捨てる。日本のために報復すれば、中国から報復が来て、米国人がたくさん死ぬ。それなら、日本だけが被害者になって収まるほうが良い。日本が買わなくなった米国債を中国が引き受けてくれるだろう。現実に、中国の米国債購入は大規模にはじまっている。米民主党政権誕生の気配が強まるなか、米国の「日本切り捨て」危機は高まっていると見るべきだ。私の考えでは、国防上もっとも注視すべきは米国の動向であって他国ではない。

中国の核は、米国が原因をつくったのだという話もある。それならば、世界中で米国の影響の及ばぬ国などないわけで、世界中の国が核を持つのが正しい、という理屈になる。当たり前である。いっそ国連で共同生産して配分すれば、安くついて良いと思うな。

そればかりでない。「国家」は悪い者で、人民を圧殺する装置である。であるならば「一家に一台」核を装備するのが良いだろうね。国家の横暴に対抗できるぞ。名案だろう?

核について考えるとき、このように現実とそれを支える論理を検証していくと、末路はだいたいこんなものなのである。

一足飛びに核装備議論に飛んでしまいがちなのは、怖ろしいと思うからであろう。「平和のために死ぬ」覚悟ができている人は別だろうが、このような主張は「本末転倒」なのは当然だ。

私は、まだ核装備に関する見識が固まっていないのである。ただし、いったん装備してしまったら、なかなか元には戻れまい。まだ現状では、米国に「しっかりしないとウチは困る」と文句を言えるだけマシであって、まあそれで頑張れるうちは頑張ってみるか、くらいの考えである。
相変わらず腰抜けと笑われることだろうなぁ。。。誠に情けないことではあるが。。。