Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

論争 格差社会

「論争 格差社会」文春新書編集部。

小泉改革で格差が広がった」と巷間よく言われる話だが、本当に格差は拡大しているのか?格差問題に関して賛否両論、ごちゃごちゃと取り混ぜた本である。それだけに、なかなか面白い。

まず、よく言われるジニ係数を持ち出して「先進国では、日本は米国に次ぐ貧困層の多い国」などという議論があるが、一見もっともらしいこの議論をあっさり粉砕するのが大竹氏である。これは「高齢化」のためである。つまり、老人の場合は、所得がない人(ゼロ)とある人の差は、倍数にすると無限大になってしまう。ジニ係数は、平均所得の半分以下をもって「貧困層」と定義づけるので、収入ゼロの高齢者がたくさん人口に含まれれば、あっという間に「格差社会」の出来上がりである。
その意味では、竹中平蔵が指摘したように「所得のある人の最貧困層が下がったか否か」がもっとも重要なのである。そういうデータは、まだ出ていないのである。

小谷野敦の指摘は切れ味抜群だ。「東北地方で冷害があって、娘を売りに出し、一家離散、自殺者まで出たのがつい70年前のことである」そして「誰も餓死しない格差社会なんて、なに言うとるんじゃろ」というのである。「格差社会」そのものが「贅沢品」じゃないか、というのだ。

この指摘は「希望格差社会」でもっと明らかになるのだけど、つまり「希望をもっても、その希望に手が届かないから」希望格差社会だという。しかし、希望を叶える人もいるわけである。「ビッグな芸能人になりたい」希望が叶えられないからフリーター。それは、仕方がないと思うのだが。少なくとも、努力すれば報われる社会なんて、信じられないなぁ。親の資産があれば、子どもは有利なのは確かで、これは問題だと思うが、あとは仕方がなかろうと思う。

その意見をアッケラカンと書いてしまうのが日垣センセ(笑)。「誰でも取り替えのきく仕事と、特殊な才能がなければできない仕事で報酬が違うのは当たり前じゃないか」「だから、平凡であっても生き延びられる方法を教えるべきだ」と言う。生きる方法として、素直に納得である。

「格差が何がわるい」と開き直る渡辺昇一センセと日下公人センセの対談は、この本に収録する価値がないと思うけど、せっかくこの問題でやる気になっているサヨクの方々の燃料(笑)として貴重だろうな。読者サービスも楽じゃないねえ。

評価は☆。
格差問題に対して、多様な視座を持つための処方箋として。

森永卓郎センセとNPO法人の二神氏の対談は面白かった。これだけ話が噛み合わない対談も珍しい。
二人は「格差社会は政府がいかん」という点で一致する。しかし、それで「政府はなんとかしろ」という森永氏に対し、二神氏は「政府はダメなんだから、自分たちでなんとかしよう」という活動をしているのである。小さな相互扶助コミュニティをつくるのが、彼のNPO法人の活動内容だ。
この対談からすると、左翼経済学者と言われる森永氏が「国家主義者」であることが、見事に暴露されてしまっているのである。「政府がダメだといいながら、なんで政府に期待するのですか?」二神氏に切り込まれて、森永氏はしどろもどろ。うふふふ。

「これは上流」「この職業は下流」と分類しなければならない学者の苦悩を吐露した佐藤俊樹氏の文章が、もっとも格調高く、本書の白眉であった。立ち読みで良いと思う人は、この人の文章を読めばそれで足りると思う。格差問題が「新書ブームによってつくられたもの」と指摘する小谷野氏の文章と併せて、この問題に関するワクチンとなってくれるのではないだろうか。