Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

「自転車の安全利用の促進に関する提言」-馬鹿の見本

先日「自転車の歩道通行を許可する」という方針を警察庁が固めたことがニュースになった。今までは「原則、車道通行」で「特別に認められた道路」だけが(標識がある)歩道通行可、だったのである。だから、単に「法律を現状にあわせた」ものだろう、とたかをくくっていた。

ところが、ことはそうではないようである。

くわしくは、ここに書ききれないのでリンクを貼っておきます(マズイのかな?)
http://www.takachiho-haruka.com/mondai.htm

 この「自転車の安全利用の促進に関する提言」だが、誠に奇妙奇天烈な論理であって、誰も納得しない代物になっている。わかりやすく言えば
・自転車と歩行者の事故が増えている(4.6倍)
・自転車の交通ルール違反の増加、特に若年層と高齢者の事故
・自転車は危険なので、場合によって車道通行を禁止する
なのである。これこそ「馬鹿」である。

誰が考えても
「歩行者と自転車の事故が増えている」→「だから、自転車は車道を走れ」でなくてはならん。それが、ひっくり返って「自転車の車道走行を禁止してもいい」とは、いったいどういう論理であるか?その自転車は、歩道を走るではないか。歩行者の危険が増すことは、誰が考えても明白ではないか。
さらに、である。
「車道を走る自転車は危険」とは、いったい誰が危険なのであるか?答えはきまっている、自転車である。クルマにはねられる危険があるのだ。であれば、危険を及ぼすクルマをどかすのが当然である。それを、かえって自転車をどかすとは、いったいどういうロゴスなのだ、てめえらは。

昔、始皇帝が馬を指さして「あれは鹿であろう」と言った。それを見て「はい、鹿です」と言った役人は助かり「いや、あれは馬です」と言った役人は死刑になった。

現代の役人は「ほら、歩行者と自転車の事故が増えている。どうすべきか?」「はい、自転車を歩道に上げましょう」と言うのである。
おそらく「では、自転車を車道におろしましょう」といえば、クビが飛ぶのであろうよ。

「役人」が「馬鹿」という伝統は、現代の日本にも脈々と生きているらしい。実に良い見本ではないか。ああ、馬鹿らしい。