Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

投げる哲学者

私は、たまに野球中継を見るけど、それほど野球ファンというわけではない。
だけど、今年は楽しみな選手がいる。
それは、広島カープの新外国人フェルナンデス投手である。

体重100キロを超す巨漢「スモウ・ピッチャー」であることは愉快だが、それ以上に面白いのが、彼が投げるボールがすべて魔球ナックルボールであることだ。

このタイプのピッチャーは、かつて日本に存在したことはないはずだ。しかしメジャーでは、あの松井選手が苦手とするウェイクフィールド投手が有名だ。その前にはニークロ兄弟やキャンデオッティ、チャーリー・ハフもいた。
彼らは、まったく無回転の「風にそよぐ」スローボールを投げる。このボールは、そのときの偶然によって、左右にユラユラ揺れながらやってくるのだ。
その変化は投げた本人にも分からず、キャッチャーも捕球に苦労する。

どこに行くかわからないのだから、コントロールは難しい。どうしても四死球で自滅するケースが増える。あのウェイクフィールド投手も、ノーコン病で悩んでいた。そこで、かつての大ナックル投手、フィル・ニークロに相談した。
ニークロは応えた。
「ただ、ベースに向かってひたすら投げる。それだけだ」
自分でも分からない変化をするボールを、自由にコントロールすることはできない。つまり、厳密な意味で「ストライクをとる」保証なんてない。じゃあ、ストライクを取れなくて良いか?といえば、そうではない。だからニークロは言ったのだ。できないということと、目指すということは違う。目指すのが投手として出来るただ一つのことであり、だからホームベースに向けて一心に投げようということだ。
ストライクは結果であり、ストライクを取ろうとすることだけが、投手に出来ることである。ストライクになったかどうかは結果であって、結果を投手は支配できない。ただ目指すだけだ、と。

これは、すでに哲学である。自分でも予測できない、コントロールできないボールをひたすら投げるナックラーこそ、現代野球における「哲学者」の姿そのものじゃないかな。
是非、見てみたい。

ナックルボーラーの弱点は盗塁である。ボールが遅いし、捕手は捕球困難で、なかなか盗塁阻止ができない。だから、メジャーのナックラーは皆、牽制技術が一流なのである。ボールそのものは、ナックルボーラーにとっては「分からない」ことで同じだ。
ついでに言えば、投手にとって有利な「追い風」も致命傷だ。投げるボールがみな棒ダマになってしまって打たれることになる。
彼の好投は、天候が左右することになる。
なんとも楽しみなことじゃないか。