Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

輪違屋糸里


いやあ、浅田次郎なんて、通俗大衆小説家で、ただの活動写真の本を書いておるだけの俗物だと思うておりましたがな。で、撤回します。こりゃ、なかなかの良作ですぞ。

舞台は幕末、おなじみの新撰組芹沢鴨暗殺事件」です。
糸里は、京島原に売られてきた娘ですが、彼女は前編の狂言回しになります。しかし、後半になりますと、見事に主役に躍り出るのです。この対比が鮮やかです。

きっかけは、芹沢が島原輪違屋音羽太夫を無礼討ちにしたことから始まります。芹沢は、新撰組局長ですが、酒乱の気味があって、乱暴狼藉をはたらく。その象徴がこの無礼討ちです。
音羽太夫を慕っていた糸里は、芹沢を恨むわけです。その芹沢は、出入りの商家の妾お梅と不倫していて、まだ男を知らぬ糸里と海千山千のお梅の男に対する見方の違いが伏線になっています。
糸里は、土方歳三に思いを寄せますが、その土方は、なんと彼女を芹沢の付き人のような平間の女にしてしまう。糸里は「好いた人のため」として、この仕打ちを受け入れます。
実は、土方は、会津候の密命により、すでに芹沢を暗殺する筋書きを書いており、そのために「自分がもっとも大事なもの」を犠牲にすることにしたのです。彼は、ことが成就したら、新撰組を抜け、糸里と所帯をもつつもりだったんですな。
新撰組の二人の局長のうち、芹沢は神道無念流、近藤は天然理心流。近藤の門弟は、土方、沖田、斉藤など、百姓や足軽の次男坊ばかりでした。「百姓剣法」と馬鹿にされとりました。会津候の暗殺令を「百姓が武士を殺せるか」という踏み絵だと理解した彼らは、芹沢を暗殺することで、自分たちも武士だと主張しようとしたんです。しかし、その方法は、酒に眠り薬を入れ夜討ちにする、実に「百姓」くさい方法だったというわけです。
ラスト近く、糸里に求婚する土方に向かって、糸里は「分も器もわきまえんと、自分だけ幸せになろうというのは、楽をしようということでっしゃろ」と厳しく言います。
土方ほどの頭脳と腕前を持った人間が、なにを言うのか、と。

評価は☆☆。

これだけではありません。さらに、人物は複層的に、それぞれが絡み合って見事に描かれます。日本人作家に珍しいシンフォニイ的な作品の書ける人物なのではないですかな。
すっごく、すすめておきます。
上下巻一気読みでしたわな。

にしても。
「自分ばかりが幸せになろうと」すること自体を「楽をして何が悪い」と思う人ばかりになり、ついには己の子供の給食費すら払わぬ親が珍しくもない昨今。たしかに、百姓が大手を振って暮らせる世の中になりましたわなあ。そういう意味では、幸福なんでしょう。されど、必ず堕落も避けがたい。我々は、幸福とともに堕落も受け取らねばならなくなりました。
悪魔の取引に応じたような気もするのですが、ま、もはやせんかたないことでしょうなあ。
かくいう私も、そのような百姓の一員ですから、大きなことは言えますまい。