Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

嫉妬の世界史

「嫉妬の世界史」山内昌之

世界史を「男の嫉妬」という側面から見てみよう、という企画のようで、興味深い逸話のオンパレードである。なるほど、と思いつつ読んだ。

忠臣蔵」で有名な吉良上野介高家筆頭で、従三位だった。これは、徳川御三家に次ぐ地位で、譜代筆頭の井伊家よりも上だったのだという。並み居る大名達の不興を買っていたことは想像にかたくない。討ち入り後、赤穂浪士の身を預かった細川家は、浪士達が音を上げるほどのもてなしぶりだったのだという。

砂漠の狐ロンメルは、他の将軍がプロシア帝国貴族出身だったのにくらべて、まったく市井の生まれで、士官学校にさえ通ったことはなかった。しかし、そのために、かえって自由な作戦立案ができたのである。同じく市井から成り上がったヒトラーは、ロンメルをことのほか重用した。ヒトラー暗殺事件に連座したロンメルだが、他の被疑者達がすべてゲシュタポの壮絶な拷問死を受けたのに比べると、毒をあおって自死する名誉を与えられている。ロンメルは、叛逆してなお特別待遇だった。

大日本帝国陸軍にあって、唯一の天才は石原莞爾である。しかし、彼は傍若無人、不用意な発言で敵をつくった。東条英機杉山元などに疎まれ、予備役に編入の憂き目をみてしまう。本人も、自分が構想したのでない支那事変を停戦させるのに努力したが、もともと政治は苦手だったらしく、すぐに諦めてしまった。
もしも石原が権謀の類に長けていたら、歴史は変わったかもしれなかったが、彼に与えられたのはたぐいまれな戦略的才能だけであり、陸軍内部では妬みの対象でしかなかった。

評価は☆。
歴史好きなら、なかなか楽しめる本ではないのかなあ。

で、著者は先賢の言葉を引いて言う。
「嫉妬を受けないようでは、大した業績はないのである」「思い切って他人を嫉妬するくらいの気持ちがあれば、苦しまずとも済むかもしれない」

ところで。
私が嫉妬に苦しむことは?という話であるが、当然あるのである。「なんであいつが、、、この野郎め」と思うことがあるのである。それも、しばしばなんである。
よくよく考えると、誠に低劣な心の働きであって、そんなことを考える自分が情けないのである。で、その自己嫌悪が、更に他人を嫉妬する心につながる。

「嫉」という文字は碩学白川静のいうごとく、女性に甚だしいから、ということである(女性のやまい、というのが原義)だけど、そりゃウソである。男の嫉妬は、国を滅ぼすことさえあるからなあ。

スターリンは、トハチェフスキーに嫉妬の炎を燃やした。トハチェフスキーは、トロツキーに次ぐ軍功を若くしてあげた才能があり、貴族の出身で、ショスタコーヴィチらと対等に交われるくらい音楽、文学に関する見識があり、女性にもてた。全部、スターリンにはないものであった。スターリンは、トハチェフスキーを陥穽に嵌めて公開処刑に持ち込んだ。

現代のスターリンは、フセインであった。あまり識られていないようだが、フセイン湾岸戦争で勇戦した将星をことごとく殺している。そのため、イラク戦争が起きると、イラク正規軍はろくな将軍がいなかったために、全戦線で崩壊した。「地上戦は激戦になる」という戦前の予想を誰も覚えていないようだが、もしもまともな将軍がいれば、もう少し抵抗できただろう。
さらに、怖ろしい恐怖政治の影響が現れているのが現在である。今日「反政府テロ」が跋扈するイラク国内であるが、実はそれだけめぼしい政治家も軍人もいないのである。フセインが皆殺してしまった。イラク国内の混乱に、この「粛正」が大いに影響を及ぼしていることを、日本のマスコミは伝えない。ただ、米軍批判を繰り返すのみである。

やっぱり「男の嫉妬」は怖ろしいのだ。